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旅の途中に

今日は休みを使って、自分のこれからにいきそうな情報を探して朝から外出。

長野は本当に大きいから、移動も他の街の人からすると案外遠いんですね、時間かかりますね、と言われがち。でもそれも意外と悪くないのだ。
ホンモノの皆さんには申し訳ないくらいでしかなくおはずかしいが、電車に乗るのも、風景を楽しむのも、電車のデザインとかをみるのも好きな方でして。

帰りの電車は各駅停車でのんびりと。
乗ったことのなかった路線にも乗ったりしながら移動していると、母と同い年くらいか、もう少し若いかの女性が、ひとり、小さな時刻表とやらを手に、細かい数字の羅列をじっくりと読んでいる。
違うページに飛んだりして、ていねいにていねいに。

男性で見かけたことはあったが、わたしの記憶では女性の方がそれをめくっている姿は初めてだ。どこから来て、どこに向かっていて、今見ているのは何の確認だろう。近づくのも違うし、隣に座ってもいないから、ちらと見るのもやや困難な距離。
それでも、彼女が時刻表を入手するに至った経緯、この先の目的地を想像するだけでも楽しい。

旅って、何日もの不在で出かけるばかりがそれではなくて、日帰りだって、違う道を歩くことだって、人によってはおそらくそれであったりする。
旅と調べると【自宅を離れてよその土地へ行くこと】、【家を離れてめぐり歩くこと】などと出てくる。わりと広い定義だと思う。自転車でも、飛行機でも、国境を越えなくても、数キロ離れただけの町に、子供がひとりで冒険することも、旅になる。
有吉さんの散歩もそれだろう。ただの散歩とは思えないもんな。

そんなことを考えていたら、時刻表の彼女はうとうとと電車の揺れに任せて眠っている。
わたしの母は10年前に他界した。癌だった。
彼女が生きていたら、元気に旅に出ていただろうか。
子供の頃に連れて行ってもらった母の故郷や、親戚の住む町、高速バスが苦手で、乗る前から吐くんじゃないかって思っている、頭の中のイメージではもう吐いてる自分がみえているような子供だった。なんでバスなんだと母の選択を呪っていた。何してくれるんだ。毎回吐く私を連れて、なぜバスに。あなたも嫌だろうに。
でも、よく考えると弟も連れて移動することを考えると、お金もかかっただろうし、母はあまり新たにルートを見つけてそっちも行ってみるか、というタイプの人間ではなかったのだ。買ってくれるジュースも、お菓子も、え、またそれかよ、と思うこともよくあった。子供の頃はルマンド反対運動を起こすほど、わたしはルマンドが苦手だった。いつもあるし、むしろこれが多かったのだ。(今は好き)

母は、生きていればもうかなりいい歳だ。
自分で歩けていたとしても、なかなか遠出はできなかったかもしれない。
病状が落ち着いているときに、外泊許可を取っては入院中よく家にご飯を作りに戻ってきた。家族で食べる食事を用意すること、みんなで食べることがきっと彼女の楽しみのひとつで、入院中の目標で、家に帰ること、外泊することはきっと旅だったに違いない。

スーパーに何時ごろ着くから、食材は何を買おうか、
何曜日だから確かあれが安くなるはず、暑くなってきたからこれが食べられたらいい、そんなことが彼女の中には旅のしおりのようにあったはずだ。時々は先輩が営む居酒屋で外食もした。わたしがどんな場所でどんな人に囲まれているかも伝わって、楽しそうにしていたのが懐かしい。それもある時の旅の日程だったに違いない。

誰もが向かう旅路に彼女はもうずいぶん早く出かけて行ったわけだけれど、旅というのは、どんな形であれ、発見があって、出会いがあって、繋がりができて。忘れられない思い出が残って、振り返る楽しみができて。また、出かけたくなる。誰かに会いたくなる。

行けるときに、行きたい場所に、自由に。
ハプニングも時には悪くない。
このコロナ禍で、3年ほど我慢をしていた私たちにとっては少しずつ旅という楽しみが戻ってきた。
時刻表の彼女が、同じ駅で降りても降りなくても、
「いってらっしゃい」と言いたい。

さあ、また次の休みも
旅に出よう。

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