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器からこぼれてしまう

人の容量は、どのくらいだろう。

記憶は、消えていったり淡くなったり。
自分の都合で変換してしまうことも、ある。

どのくらいあれば、満たされるだろう。
満たすことはないのか。
最近のわたしは、自分の心の中、やりたいこと、考えていることをいろいろと考えて吐き出してみるけれど、いくらやっても不安になる。出せば出すだけ不安になるのだ。
何だろうか、器がからっぽになるような、いや、自分がからっぽで出てこないところがなのか、とにもかくにも、すごく焦っているのは間違いない。

なぜ焦っているのか。

忘れてしまいそうだから?
時間は待ってくれないから?
未来のことが、見えないから?

朝にゆっくり珈琲を淹れることや
たっぷりの時間湯船に浸かっていることや、
本を読み漁って我を忘れることや、
友人と時間も気にせず話し込むことや、
公園でぼーっとすること、散歩すること、

大好きなことをたくさん重ねても
何かが埋まらない。


もっと、私の容量があったらいいのかな。
アップデートしたり、いらなくなったモノを手放せば、
わたしは、器をちゃんと満たせるだろうか。
満たされていないと不安だなんて、
贅沢だろうか。

できることを
自分の手の届く目のかけられる範囲で。
ただそれだけのはずなんだけれど、
このなんとも形容しがたい心持を
どうにもできずに時々ふと立ち尽くしてしまう。
信号で、道端で、マンションの前で、
あらゆる場所でところ構わず。

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