恋愛の始め方

現在では携帯を使い、簡単に相手と会ったりお付き合いすることが可能ですが、昔はそうではありませんでした。
平成に入り、箱みたいな大きな携帯やポケベル、PHS、携帯が普及し始めました。
昔からあるナンパという手段もありましたし、色々な手段で恋愛を始めることが出来るようになりました。

では遥か昔、縄文時代はこのような感じでした。
恋愛感情よりも集落ごとの結び付きを重視していました。
集落は血縁者で構成されていたため、集落内での恋愛は禁じられており、交易を通して恋愛、結婚をしていました。

時は進み、平安時代。
家柄や教養を重視していました。
当時女性は外に出ることがなく、のれん越しでしか顔を合わすことがありませんでした。
男性は気になる女性がいたら、その方について調べ尽くし
恋文を渡していたそうです。女性から返事がきたら、その方と3日間共に過ごしどちらからも不満がなければ結婚に至ったそうです。
恋文の内容は、和歌をおくっていたそうです。
源氏物語にも和歌が含まれたものがたくさんあります。
内容も大切ですが、どのような紙に書くのか、どのように届けるかも大切だったようです。
当時は一夫多妻制をとっており、ほとんどの夫が妻を尋ねていました。正妻のみ夫と住んでいました。

江戸時代。
庶民。
このとき恋愛の主導権は女性が握っていたそうです。
デートのお誘いやプロポーズも女性からだったとか。
恋の始まりは恋文から。
男性が女性の着物に入れたり、信頼できる人にお願いしたりしていました。
寺子屋などの影響で庶民でも文字を習えてたから恋文を書くことが出来ていました。
また現代では有り得ないことですが、男性が女性のおしりをつねるというナンパ方法もあったそうです。
デートは人目を盗んでしていたようです。

武家。
家柄が全てでした。
将軍の脅威にならないため、幕府からの許可が必要でした。
当時家を次ぐのは男のみだったため、正妻との間に男児が生まれなければ愛人の子が家を継ぐこともあったそうです。

明治時代。
恋愛とあう言葉が広がり始めたのはこの頃。
貿易も栄えてきたため文化人が国内に自由に出入りするようになり、そのまま影響を受けたのだとか。
中流階級の人は気の合ったもの同士でくっつき、中流階級以上の人はお見合い婚が主流でした。

昭和。
恋愛婚がお見合い婚を上回りました。
携帯やインターネットがなかったため、積極的に相手にアタックしてました。なので、情熱的な方が多かったようです。

現代。
携帯が普及し始め、簡単に相手と繋がることが出来るようになりました。
年の差婚、国際結婚、同性結婚など、様々な結婚の形が出来てきました。
それとは逆に結婚をしないという選択をする方も増えました。
現代では様々な形があります。

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