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「newsong」2024 4th issue 山本恭子へのアンサー

歌への目覚めは「チェッカーズ」であると思う
ベスト10に同時に三曲ランクインするは寺尾聡以来であった
うちにいる時は一日中歌ったいた
アパートの近隣の人たちとも仲が良かったので、苦情がくるというようなことはなく「ミキちゃん歌がうまいねえ」などと近所のおばさんに言われたりして育った
小学校の下校時間には空想のベスト10番組のなかで活躍する自分を想像した
空想に没頭するには一人のほうが気楽であった

ヒップホップのムーブメントがくる以前、自分が思春期の頃日本にはバンドブームというものが起こった
それまでヒットチャートを賑わした既成の歌謡曲をオリジナル曲をひっさけたロックバンドたちが駆逐した
バンドのメンバーを募集する全国紙なんてのもあった
音楽で、パンクロックで世界が変わるかも知れない
自分もこのムーブメントに混ざりたい!
高校を半年で退学、翌年自分は上京した
はじめに組んだパンクロツクバンドで感じたのは、自分の声が可愛すぎるということ
ライブハウスの現場では、もっとダミ声が流行っていた気がする
恭子さんの話にもあったが、ぼくの友人にも親がピアノの先生をしており、
お前はだめだ才能がない、と随分と自信を喪失させられたそう(彼は今も音楽をしている)
話しは少しずれるが、私は音痴だ、とか歌が上手くない と思い込んでいる人の多くはただ単に「キー」が合っていないという問題はあると思う
キーは人によって異なるし、キーが合っていなくては 気持ちよく歌えない

協調性や相互理解の問題から、自分はやがて一人で弾き語りをはじめた
当時、新宿の路上では少しは名の知れた存在だった
バブルが弾け終わったころ、まだ行きかう人々の投げ銭で生活費がまかなえた
そのうちライブハウスで歌うようになったが高いノルマや、お客さんより出演者の数の多い、やる度に赤字が積み重なっていくライブに嫌気がさして、積極的な出演を控えるようになった
歌うこと自体、別に家で歌っていても楽しい
出演する日程や持ち時間が決まっていないほうがリラックスして歌える
最近考える理想のかたちは、村や島の歌係やシャーマンのようなものとして
村や島に認められ、雇われ、何となく機能して暮していくことかなと考える
そういう、ライブハウスやCDとは別の、音楽の世界があってもいいよね
とは言っても自分はもう暫く東京にいると思う
東京の強み、というものもやっぱりある
刑務所や孤児院、老人ホームへの慰問にも興味がある
パンクバンド「ずり」と、山本恭子+馬野ミキというデュオによっていま自分は音楽を社会に発表する上で、一つのバランスがとれている。



new song 2024 4th issue


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