「君たちはどう生きるか」の感想

始めに

どうもお久しぶりです。
二日連続で「君たちはどう生きるか」を見てきたものです。
今回はこの作品の率直な感想と、自分なりの考察をダラダラと書いていこうと思います。
なお、僕はジブリ作品は映画館で見た覚えが正直ないレベルであり、普段はこのような文章を書くことがありません。ご了承ください。

感想(以下ネタバレあり)

以下はすでにこの作品を見た人だけが見るようにお願いします。
なぜそんなことを言うのかというと、この作品の売り出し方などを考えた時に、一回目は何の情報も入れずに見ることを是非お勧めしたいからです。
予告編の映像もなければ、パンフレットも後日発売。
制作側から出された情報といえば、キービジュアルの鳥の独特の鳴き声ぐらいのものです。
これだけ用意された状態で、期待や不安などの様々な感情を持ったまま映画を見るという経験はなかなか出来るものではないからです。
実際僕も見るまでは不安と楽しみが入り乱れていました。
これまでの映画を見る前の感情というものは、楽しみか「大丈夫かな」という不安のどちらかの感情でしか映画を見ることはできませんでした。
しかしこの作品は見る前からエンタメとして楽しむことができるのです。
だからこそ、ここから先は映画館で実際に見てから読んでほしいと思います。



改めて言います。ここからは一度作品を見てから読んでいただけると幸いです。



では、実際にこの作品の感想を書いていこうと思います。
とりあえず一言で言わせていただこうと思います。

難解、しかし面白いというものでした。

僕自身もどこまで理解できているのか、実際に自分の考え方、解釈が合っているのかはわかりません。
ですが、映像の魅せ方。見ている時の感情の振れ方。見た後の溢れ出る満足感。どれも過去最高だったなと感じました。
ジブリのファンタジーらしさを残しながらも、メッセージ性の強い部分もありどこをとっても良いと感じることが多い作品でした。

しかし、万人に受ける作品かというとそうでもない気がします。
やはりどこか全体的に説明不足な感じがしたからです。
これは僕の理解力が足りていないのかも知れませんが、主人公の真人が大叔父様と石の前で話すシーンでの会話が終始疑問に残っています。
真人は大叔父様の問いかけに対し「これは木ではありません。悪意のある石です」と答えるというものですが、あまりに唐突であり詳しい説明もないため、その後も引っかかってしまう部分ではあります。
そもそも木とは何なのか、この字の木かどうかもわからないのです。石に関してはこの後に出てくるので分かるのですが、情報が少なすぎて見ている人に疑問の残るセリフだったなと感じます。
他にも疑問の残る部分はいくつかあるのですが、ここではこれくらいにしておきます。

シーンごとの考察と感想

以下、考察という名の感想を書いていこうと思います(?)
シーンごとに書いていくのでだいぶ長くなると思います。時間のある方はどうぞお付き合いください。

では、まず初め、真人の母親のひさこ(確かこんな名前だったはず)が火事に巻き込まれてしまうシーンから始まるわけですが、まぁすごいですね。警報や服装から時代がなんとなく見えてくるんですよね。そして火事の現場に向かって走っていくシーンですが、この時点で「見にきて良かった」と思いましたね。何も始まってないのに何故か面白いんですよ。作画がいいからですかね?他にも理由はありそうですが…。
そして、真人が火事現場に向かう際慌てて出ていくわけですがその後冷静引き返して寝巻きから着替えるんですよ。年齢的にはまだ子供と言っていい子がですよ?
この時点で真人が合理的で、子供らしくないというキャラ付けがされていたんだと思います。この後もずっと冷静でしたからね。

その後、母が亡くなり引っ越すわけですが、その先で母の妹であり真人の新しい母となる夏子(劇中、漢字の表記がなかったので推測です)との初邂逅です。
ここで真人は「お母さんにそっくりな人だった」というセリフがありますがこの時点ではまだ夏子のことを母としては認めていないと読み取ることができます。
そして、夏子と二人で家に向かうわけですがその間真人はずっと無言なんですよね。おそらく、夏子に対する不信感みたいなのが現れていたのかなと思います。
顔は母なのに中身は違う、父を奪った人といった印象でしょうか。

その後、家に到着するわけですが、ここであの鳥が登場するわけです。まあこの時は特に何もしないわけですが。
そして、先に進むとあのおばあちゃんたちの初登場です。なんか面白くて可愛いらしいジブリ特有のおばあちゃんたちです。なんか和みますよね。

引越しの日の夜、父の帰りを待ってか二階の廊下に座り、眠るシーンですが、ここの夢では母に助けを求められるわけですが、先ほどの夢からは一変しています。この時点で何かしらの干渉を受けていたのだと思いますが、だとしたらトリガーはなんなのか。ここで考えられるのは青鷺の羽がトリガーではないかと考えられます。青鷺の羽が消えている描写からも羽を媒介にして夢に干渉してきたと考えられます。おそらく、ですが。

そして、学校への登校ですが、いじめのようなものにあい、復讐のためか自演で頭に石をぶつけます。真人自身色々な思惑があったのだと思います。父の関心を自分に向けたかったというのもあるかと思います。帰りを待っていたことから、父には好意的だったと考えると自分が怪我をすることで心配してくれるのではないかと考えたのではないのかなと。大人びている反面、真人の子供らしさもここでは表現されているのかなと。

そして、初めて青鷺と会話をします。そして、最後には夏子が弓で青鷺を撃退し、意識が覚醒していくのですが、この夢には不思議な点があります。夏子が弓を使うことができるという話は真人は知らなかったはずですが、この夢ではしっかりと使っている描写が出てきています。青鷺が干渉しているからなのか、それとも他の理由なのか。

その後、母からの贈り物であり、この作品のタイトルでもある「君たちはどう生ききるか」を読むわけですが、この作品を見て同タイトルである小説を読む人増えるだろうなと思いました。かく言う私も影響を受けて買ったんですよね。ゆっくりと読んでいこうと思います。

そして、青鷺に導かれ、塔へと霧子と入っていきます。その先にあったのは母親の偽物です。ここの青鷺はマジのど畜生にしか見えないですよね。人の死を弄ぶようなその姿は真っ当な悪役という感じがします。まぁ、でも絶妙にポンコツなせいで憎めない感じになってはいますが。

そして、夏子さんを救うため石の世界(呼び方分かんない)に着くわけですが、その後の死の門や、霧子のセリフでこの世界が明らかにこの世界ではないあの世であることがわかるわけですが、明らかに「千と千尋の神隠し」のオマージュなんですよね。この世界で色々な経験を積むことで主人公が成長するところも同じなんですよ。純粋にエモいなと思いましたね。

ペリカンと会話するシーンではペリカンはこの世界が地獄だという風にいっているのですが、大叔父は綺麗な世界と言っているんですよね。これって、誰かが生きやすい世界を作ろうとすると、誰かが生きづらい世界になるという矛盾を表しているのかなと思います。どれだけ平和な世界を作ろうとしてもそれは誰かにとっての平和に過ぎず、誰かにとっては苦しいだけかもしれないという矛盾。それがこの作品で印象深く残っています。

ここから先は正直わからないことの方が多いんですよね。
なぜ夏子はあそこに居なければならないのかとか、オウムがどうしたかったのかとかとか、なぜ後1日しか持たなかったのかとか…。
俺には答えを出すことは無理だった…。
もう何回か見たい…。

まぁこれ以上長々と書いても仕方ないのでここらへんで終わっておこうと思います。というかこれ以上書こうとすると一生公開できない気がするので最後に総評して終わります。

総評

とにかく面白いし、何度でも見たい。そんな感じの作品でした。

では、この辺で終わっておこうと思います。
最後まで読んでくれた物好きな方ありがとうございました。
だいぶ言葉足らずな気がしますが、許してください。
では、またの機会に。

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