猫田による猫田のための、きつね。
きつね、良い。
生き物としても概念としても。
初めて野生のきつねを見たのは、
大学生になってすぐの頃。
はるばる山へ行って、
木の標本を作った実習先で、
木造の建物のそばに近づいていたきつねが、
森へ駆けて行くのを遠くから、
他の人と眺めていたような。
野生の子をみたのはそれきり。
野生の生き物はなんだか魅力的だ。
野生の狸にもわくわくしたし。
小学生の頃は野鳥が大好きだった。
野生の生き物は、
人と馴れ合っていないのが、
良いと思うの私は。
鴨川のとんびに襲われるたびにいつも、
地元のとんびとのギャップに絶望している。
地元と言っても、
厳密には祖父母の家あたりのことだけれど、
私はあの土地に住むとんびが大好きだ。
上空はるか遠くを飛ぶとんび。
私の手の届く範囲には決して、
近寄りはしない孤高の存在。
上空に住む一匹狼。
ごくたまに電信柱のてっぺんに、
凛々しく留まる彼らの姿を、
これ幸いと目に焼き付けたっけ。
京都に来た私は絶望した。
鴨川沿いの人の食べ物をパクる彼らに。
その辺の輩みたいな彼らの姿を、
見たく…なかった…!
私も5回くらい集られて2回は持ってかれた。
奴らは人間世俗に馴れ合いすぎた。
全部人間が悪い!(過激派)
まあつまりは、
私の理解の及ばないところで、
人と関わらない範囲で、
彼らの生活を営んでいてほしい。
それでいて時々、
ちらり姿を垣間見せて、
彼らの生きる姿を好き勝手想像させてほしい。
そういう意味で、
私が見たきつねはまさに、
野生を生きるきつねだったなと。
そう思うわけです。
存在が知られてない訳ではない、
でも生活のすべてを知るわけでもない、
そういう彼らの生き方が、
きつねという生き物に妖艶な魅力を、
纏わせる所以かもしれませんね。
想像です。
きつねに化かされてみたいなあ。
怖いのは苦手だけど、
きつねなら許せるかしらと。
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