猫田による猫田のための、許すこと。
許すことって美徳だけれど、
強要されることではないよな。
ひとと仲良くすることも、
強要されることではないなっていうのは、
高校の時あたりから思っていたことだ。
って始まりで文章を書いていたのだけれど、
でもこれって結局は、
徳に背いた行いをした自分自身を
ただ正当化しているだけではないかって、
思い至ってしまった。
そもそも思想の根底には
具体的な事象がころがっているわけで。
思想の話をしていると見せかけて、
だんだん具体的な話になってしまうのだ。
思想としては合っていると思うのだけれど、
それをつらつらと書き連ねていくにつれて、
妙な気持ち悪さに襲われてしまう。
具体的な事象について書くんだったら、
もう本人かなにかに直接言った方がいいし、
本人に言わないんだったらむやみやたらに、
それこそ公共の電波に乗せるもんじゃない。
まあしかしこれはこれとして理想でしかない。
一番の理想は万人を許し万人と仲良くすることだけど、
それができるのは仏ぐらいのものだ。
仏になれない私を許してほしい。
追記
のっぴきならない事情で
水曜日はお休みした私も許してほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?