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猫田による猫田のための、うそ。

まだ幼かったころに聞いた、
「建物の『定礎』は建物を最終的に
爆破して解体するための爆弾が入っている」
というのはたぶん父親のうそだった。
なにかのクイズ番組で見るまで、
私はずっと信じていた。

小学6年生の頃、
兄の携帯電話の画面で見た、
「パスワードを入れないと○秒後に
データはすべて削除されます」
というのはたぶん兄のうそだった。
混乱した私は兄のもとへ行って、
大泣きしながら謝ってた

うそには騙されやすいほうです。
少なくとも昔の頃は。
今は正直わかりません。

騙されやすいというか、
見聞きした情報をすべて信じ込む、
そんな子供だったと、
今の私は思います。

素直なのはいいことだと思う。

だけど、
見聞きした情報をすべて、
なんの確認もなく信じこむのは、
イコール素直ではない。
残念ながら。

昔の私はそういう意味で、
多少阿呆だったなと。
思うわけです。

今の私が果たして阿呆でないかは、
定かではないので言及しません。

うそをつくのは苦手です。
技術的には分からないけれど、
精神的な意味で。

本当のことと違うことを言うのは、
冗談もそうなのですが、
誤解が生じる可能性が高すぎるので、
苦手です。

本当のことを言うことすら誤解を生むのに、
冗談を言うのはなおさらだ。

苦手が過ぎるので冗談を言っても、
舌の根というか舌先すら乾かないうちに、
うそって言うし冗談って言ってしまう。

というか冗談を言うときは、
「冗談です」まで考えて発言してしまう。
してしまう程度には苦手。

ひとの冗談は好き。

場を面白くするためのうそはまだ良い方で。
ひととの関係性の中に経費として生まれてくる、
そういううそはてんでだめ。

思ってもないことなんて、
言わない方がいい。私は。
慣れないことをした時はたいてい、
胃がねじきれるような心地がする。

胃をねじきるくらいなら、
もういっそしゃべらない方がいい。私は。
黙々黙々瞑想瞑想。
最低。

経費としてうそを言うって発想がもうだめ。
ちゃんと言うのが健康で良い。
少なくとも、私にはね。

うそをつかないことと、
正直に全部言うことはイコールじゃない。
それが唯一の
救いってやつだ。

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