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なんで好きなの?


どういう人が好き?聞かれたら「私のことが一番好きな人」と答えるのだけど、いま私が見守ろうとしている人は私のことが一番好きなわけでもないし、特別多くの人に愛されよう好かれようとしているわけでもなければ、誰かのために舞台に立つ訳でもない。それでも、私はこの人のこと大好きだ、って思ってしまうのはどうしてなのかなとずっと考えていた。

毎日音声配信を聴いているし、聴きながら執筆された文章を読んでいる時もある。これを2年くらい継続しているから、もしかすると洗脳や信仰に近いものになっているのかもしれない。けれど私は私を生きる時に、何かを決める時に、想う時に、悩む時に、その人の眼差しを私の眼差しとして使っている。支えられているとか励まされるというよりは、ずっと私のここに居る。昨日泣いた時もカバンに入っていたのは今治製のミニタオルだった。

何か考える時に必ず私の中にメガネを光らせたその人がいる。私の決めること悩むことは全て私の自我であって責任は私にあり、実際にはその人は関係ないのだけれど、ずっと一緒にいる、いてもらってる。実在し、自転車に乗って走り去る実体とはまた別に、私の中に居るその人が私を生かしている、そんな気がする。居るから、恥ずかしくないようにしなきゃなと律することができるし、少しだけ頑張ることが出来るようになった。少しね。

その人を大好きだと思えていることは、私が私を好きだと思えていることになるのだと思う。自分のこと、昔よりまあまあ好きかもわからんな、と思い始めることが出来たのは、その人が私の中に来てからのことだから。心から大好きだと思えるのは、心に居るから。ちょっとキモいけどこれが今の本当。

私もその人も変わりゆくし、私が追いつくことは決してない。けれどこの先もずっと私の中に居る。もし今より少し遠くなってしまっても、ずっと私の中に居て、おい大丈夫か!と言ってくれるときもある。いつもじゃない。そこは私が頑張れ。

とにかく出会えてよかった、大好きです。
これからもよろしくお願いします🐶

私がニコニコで暮らせます。