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2023 やらなくていいことで生きた


2023年1月に柔術の体験クラスに足を運び、その後わりとすぐに入会したのでもう柔術を始めて一年経つことに。
それでまだお前は白帯ストライプ2本かいな、という感じですが、この結果だからこそ今年の生き方と来年の生き方に向き合えるところもあるな、と思います。大道塾は2022年9月入門なので、2023年に入ってから突如暴力練習二足草鞋になったわけで。意味不明ですよね、私もそう思う。

これまで生きてきた中で様々な趣味はあったけれど、自分で自分の体でやることを趣味にしてこなかったし、部活動をやってこなかったこともあって“打ち込むこと”を知らなかった。

自分がやることに対して考えて、行動して、落ち込んで、喜んで、空道なら審査や試合・柔術はクラスの中で何かしらの成果や評価があって、大きく喜ぶ暇もなく課題が山のように出てきて、ちょっと怪我したりして、また悩んで。この連鎖あるいはサイクルのあった2023は自分にとって新鮮な年になった。これを知らなかったから。悩む理由が他人ではなく自分のことになった。どう転んでも自分のせいにしかならないから、自分がやる他なくなった。

生きていて本当は別に誰のことも殴らなくたって殴られなくたって締められなくたっていいのにこれを必要だなと思えたり、楽しいと思えている不思議は、葛藤とその連鎖の中で自分の成長を感じることが出来ているからだと思う。

かくとうぎ(漢字で書くにはやや心許ない)が偶々わたしには合っていたのかもしれないだけだし、暴力で覚醒したとは言わないが、追い込まれた時に自分の本質を見た。良いところも悪いところもよく見えるようになって、自分で自分を知った。余裕のない時に自分の不甲斐なさが出たり、逆に優しくなれたり。向き合って、殴らなければならない局面で殴ることが出来るようになった。2022年の私は殴らなくて困ってたのだから、これだけ見ても変化があったのよ。
何度も言うが普通は殴られなくたっていいんだよ。勧めないもん。やめたほうがいい。危ないし。でも趣味ってそういうもんだよね、無駄が人を豊かにする。

2024年も殴ったり蹴ったり絞めたりする。
この一年で自分のモチベーションとの関わり方や周りとの折り合いの付け方、頼り方が少しは分かるようになってきた。そんなに毎日頑張れはしませんが、私の周りにはかっこいい大人がたくさんいるのでその方々からお力をいただきつつ、楽しみつつ、色々なことをうまく噛み合わせて私の暴力歯車がよく回るように暮らせたらいいなと思います。


…とはいえ、今年はそんなこんなで暮らし方が変わって会う機会が減った方も多く、申し訳ない気持ちもありましたが、色んな時期があって今の私がいます。全部無駄じゃないと思えるのは出会った人たちが今も大切で、私の暮らし方の変化に温かな眼差しをくださるからこそ。

今年もありがとうございました。
来年もすったもんだしてますがよろしくお願いします🐱

私がニコニコで暮らせます。