3月


別に生まれたくて生まれたわけではないけど、誕生月は緊張感が違う。本当に嫌な思いをしたくない。
と、思ってここ数年3月に怯えていたのだけども今年はそうでもないかも。

嫌な思いをしたくない、の角度が多分違う。
自分が辛く悲しくなるのは他人のせいだと思う癖が強かったし今もゼロではないけど、この嫌な思いをするということは自分がそこに対して対策を取れてないとか、どうしてそう感じるのか?とかを考える事が出来ていないからだな、と思えるようになった。悲しさそのものではなくて、まあその気持ちもなかったことにはしたくないけど、なんでそう思ってしまうのか?が大事なんだなと。

どうして?を考えるのはめちゃくちゃ苦手。自分が悪いからだなとか育ちが悪いとか、ルーツがそうだとか、親が無いからとか、もうひっくり返せないことを理由に決定してしまう癖がある。考えているようで、考えてなかった。
ルーツは仕方ないにしても、その上でこれからどう付き合っていくかとか、捉え方を変えてみるとか、そういう精神面での挑みをやっていかないとどんどん手遅れになる年齢になってきている。もう誰かや自分のせいにしていられる歳でもなくなる、既にそうなのだけど、気づけなかった。それだけ、考えているようで考えてこなかった。

よそ行きのワシがたくさんいる。考えているような、まあバカではなさそうなワシ。よく作ってきたと思う。そうしていないと、そうするのがベストな局面が10代のうちのほとんどだったからだと思う。大人に良い顔をすることで食い繋いできた。
が、実体は逆で。考えることからひたすら逃げてきて、怒られることや指摘されることに怯え、捉え方がわからずに困り続け、それをどうにかしないといけないことに気づけなかった、思春期取りこぼしの10代のままなのだと思う。若いときにもっと、若い子をやれていたら。もう戻れんけどね。

誕生月に嫌な思いをするのは嫌、それは変わらんけど、去年の3月よりは少し外と内のワシの実体が一個になりつつあるような気がして。根拠はないけれど、まあ大丈夫でしょう、嫌な事があったらまた“どうして?”を考えて見ましょうね、くらいの感じになれているから怯えずに済んでいるのかも。ワシを救うのはワシという、そういうことなのかな。

今月で31歳になります、年齢と同等か、少し下くらいの朗らかさを手にしたいな。
今年はそんな感じ。

私がニコニコで暮らせます。