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ぼやぼやぼやき

好きな人たちが好きに動けていること

私の好きなことやニコニコできることってこれなのかもしれないなあ、って。


自分が推している人たちが不本意なことに巻き込まれたり喰らっている様を見ると、何とも解決し難い怒りの気持ちが湧いてくる。でも安易に怒ることって私はできないから、そのまま大きく悲しみになったりする。良い時も悪い時も、結局は見ているしかできないからね。

推しがさ、やらなくても良いことに体を取られているなあ、とか。嫌な気持ちになるコメントされてるなあ、とか。もっとやりたいこと、やれること、沢山あるはずなのに、って。私が気にすることじゃないんだけどね。なにせ不要なほどに気にしいなので。人のことであっても傷つきやすいから。傷つきに行きがちというのもあるけどまた自己肯定感下がるからここでやめておくね。

できれば踊る場所はそこじゃない方がいいのかもしれない、みたいな状況の人たちが推している人たちのなかにいて。
その、惜しくも不本意な場所にいる一瞬でも、これぞこの人だからこその仕事!発信!言葉!その好き勝手が見たかったんだよ、みたいなシーンが出てくると飛び跳ねたくなるほど嬉しい。
好きな人が好きに生きることができる瞬間をどうして私が嬉しいのかわからないけど、本当に嬉しいんだよね。私にはわからないことをさ、わかって欲しい人にわかってもらえてたなら、それは私も喜びたいし。難しいけれどね。

話したいだけ話してるときとか、撮りたいだけ撮ってるときとか、良いなあと思えるお仕事が来ていたりとか。うんこちんこ言ってる様とか。
好きな人たちが好きに生きて伸び伸びしている状態が、自由が、私にとってはめちゃくちゃ嬉しいことなんだなあって気づきました。

私の嬉しいは一方的であるけど、嬉しい気持ちにしてもらえている感謝はなるべくわかりやすく伝えていきたいなあと思う。それがその人たちの良い事かどうか、私はそんなに自信がないけれどね。分かったような顔もしたくないし、分かってないから。

もしかしたら踊る場所が変わってくるのかもしれない、そしたらもうこういう悲しさもないのかもしれない。そうだとしたら、この今の気持ちは今だけの、私だけの気持ちになるのかな。

好きな人たち、好きな場所で、なるだけ良い空気で、良い人に囲まれて、好きに表現していて欲しいな。

私の推しに対する色々って、そんな感じ。

私がニコニコで暮らせます。