狂って候


「信じるものがあれば良かったのにね」
みたいなことを、子供の頃に親戚の葬式で聞いたことがあった。亡くなった親戚は特定の宗派を信仰していなかったから、すがるものがあれば心の支えになったのにねという意味合いだったと思う。他の親類は新興宗教に心を預けていたから、という背景もあるけれど(ワシは子供ながらになんだかなあと思っていたが。親戚の家に変な掛け軸あって嫌だったし)。中学の制服を初めに着たのは葬式だったな。まあそれはいいや。

ずいぶん経って分かるというか身に染みる、信じるものがあれば良かったのに、の意味合い。私は信じるもの・興じるもの、あるいは熱狂できるものが沢山ある。心の置き場がいくつかあるし、お守りにしている存在や関係性もある。委ねること、時に人のせいにして、生きる他ない上での苦楽を色々な事に散りばめてバランスが取れていて、死を考えやすい体質の私がギリギリ自分で自分を終わらせることなく済ませていられるのだと思う。振り切って委ねすぎること、依存も不健康かもしれないけれど、それで生きていられるならずっと良いことなんだと思う。死んでしまっては、もう酒を酌み交わすこともできない。だから熱狂や信仰で生きることって必ずしも悪いことではないな、と思う。

特別長生きしたいわけでもないが生きているので出来れば意味のあるなしに関わらず健やかでいたいし、それは1人で実現しなければいけないことでもないと思う。助けがあっていい。救いは神仏ではなくてもよくて、好きな人でも趣味でもいい。自分のことを全て自分で請け負わなくていいように、いくつか自分の置き場とか支えとかを用意しておく生き方、いいと思う。自立のできない人の言い訳かもしれないけれど、熱狂の才能があるから生きていられるのであれば、それは褒められたっていいはずよ。自分の熱狂の才能を愛しく思いたい。

で。私の寺社仏閣こと青木真也さんの新しいTシャツが受注販売中です。※PRではない


正直なところTシャツは手元にそんなにいらないし、着用機会も全然ない。いまTシャツが欲しいかというと、別にそうでもない。カシンさんのこと東スポでしか知らない。けれど欲しいと思えるのは私にとって青木さんグッズが生きる上での強力な御守りになるから。着用することで守られてる感じがある(個人の感想です)。初詣行って今年一年のお願いをして手を合わせて御守り買って帰るあれと一緒です。なんかちょっと神頼みしたいな、のときのあれです。前厄だし。私にとって青木さんは寺とか神仏とかそういう位置の方なので、Tシャツも御守りとして購入しました。カシンさんがついてるのもありがたみがありますよね(個人の感想です)。Tシャツ一枚買ってよりよく生きられるなら、この私の青木さんに向かう熱狂もあって悪くないな、と思ってます。

推し活とか、なんかこのビジネスっぽいワードが嫌なので熱狂で押し通しましたが大体そのことです。自分の熱狂を大事に。なんでも良いんだよ、恋愛でもね。とにかく、どうか会える存在で。そして熱狂の対象になってくださっている方々や事象に大きな感謝を。

おわり🐈‍⬛

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