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話し言葉に書き言葉

私は未成年の頃からインターネットに文章を公開するようなことをしていたのですが、それがたまたま学校の知り合いに見つかったとき、“話している言葉と書いている言葉が違う。おかしい”といったようなことを言われました。

小学生の当時は作文以外で何かを書くなんてことは、誰々ちゃんへの手紙とかそんな程度なのがスタンダードで、SNSもごく少人数のおとなの人たちの遊びでした。

おそらく私の話すことがぐじゃぐじゃ過ぎるということも一因なのだろうが、書き言葉というのはある程度プチ精査されますので、違っていても何も不思議なことではないと思うのです。

(話し言葉を整理整頓してから声に出せたらいいなぁと常々思ってはおりますが)

幸い、本を読む習慣があったおかげで句読点の入れ方だったり、受験でちょっと考慮されるくらいの漢字検定を持っていたりはするし、今やっているアルバイトのちょっとした入力も苦ではなない。ワハハ、誰か褒めてくれ、褒められる環境がない

小学校時代のアレ。

話し言葉をきちんと整えたい文章の場に持ち込んでしまったら違和感があるし、どうして言及されたのかいまだにモヤモヤとしています。

言ってきた人が誰かも忘れてしまったけれど。(あのあたりの一塊のグループの誰かということだけ覚えている)

これは私の考えなのですが、きちんとした文章を書くとその人の話し言葉に付随してくる印象はだいぶ薄味になるか、完全に無くなりますね。だからかな。

印象の話なので、性格が出ないとか個性が消えるという話ではないです。

抱かれる印象と性格は全く別だと私は思っているので。


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