申・猿🐒✨396❤
ルシファーリゲル兎命さんの導きを
更に私なりに辿ってみます。
稲光・稲妻の形を左右に並べた形の字が申(しん)です。それは天にいる神が、神の威力を現した形・姿であり、神の発するものであると考えられ、申は「かみ」の意味となりました。また稲妻は屈折しながら斜めに走るものですから、申を「のびる」という意味や「もうす」という意味に使うようになりました。
「猿田彦大神」を祀る全国2千余社の本宮
「椿大神社」
猿田彦大神の妻「天鈿女命」をまつる椿岸神社
「椿婚」
ともに「椿」なんだ!
なるほど。
椿=ザクロ=396=弥勒
最後に
第73世武内宿禰の竹内睦泰のブログを…
(むっちゃんの歌、また聴きたいな〜。)
竹内家に伝わる口伝によると
五十鈴川でお清めし祈りを捧げたのは
五十鈴彦(伊勢津彦)→イエス・キリスト
五十鈴川でお祈りをし、伊勢湾にあたる津を
守っていた。
鼻が高く赤ら顔をしていた。
天鈿女命はマグダラのマリア。
伊勢神宮外宮の御祭神
豊受大神となっているが、本当の御祭神は
「国之常立神」
伊勢神道(度会神道)では
豊受大神は始源神である天之御中主神・国常立神と同神であり内宮よりも立場が上であるとしている。
伊勢津彦のエピソード、
海割りですかね😉
伊勢津彦は「東」へ行ったとあります。
【二見興玉神社】
ご祭神:
「猿田彦大神」「綿津見大神」「大若子命」
※ 【大若子命】
別名 大幡主命
官位 神国造、伊勢神宮初代大神主
大若子命(おおわかこのみこと・おおわくごのみこと)は、『倭姫命世記』などに現れる、古代日本の伝説上の豪族で、初代伊勢国造・天日別命の子孫
加賀国(現在の石川県)石川郡の式内社・御馬神社は、御馬皇子が神を祀ったことを社名の由来とするが、この御馬皇子について、『加賀国式内等旧社記』に、「御馬明神 祭神 大若子命」とあり、その大若子命の子孫(一説に御馬織連(みまおりのむらじ))がこの地にとどまり御馬皇子と呼ばれ、祖先神を祀ったものだと考えられている。また、大若子命は阿彦討伐の際に旗(幡)を挙げて戦ったために「大幡主命」とも呼ばれ、機織りの神として全国の幡生神社系の神社に祀られており、特に能登を中心に北陸には大幡神社や幡生神社の社号が多くある。これは、大若子命が北陸遠征の際に機織りの技術を伝え、感謝した里人が神として祀ったものではないかと考察されている。
余談ですが、博多の「お櫛田さん」と
繋がってきます。
【櫛田神社】
【伊雑宮】
石柱にある神紋の十六菊花門と六芒星。
元来伊勢は三宮あったとのこと。
歴史的には外宮、内宮よりも古いかも知れないのです。
旧事本紀大成経では伊雑宮こそが天照大御神が鎮座する社であるとしています
👇一部抜粋
先代旧事本紀大成経事件
1679年(延宝7年)、江戸の書店で『先代旧事本紀大成経』(七十二巻本)と呼ばれる書物が発見されたとされた。この大成経の内容が公開されると大きな話題となり、学者や神職、僧侶の間で広く読まれるようになった。しかし、大成経の内容は伊勢神宮別宮の伊雑宮の神職が主張していた「伊雑宮が日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」という説を裏づけるようなものであることがわかり、内宮・外宮の神職がこの書の内容について幕府に詮議を求めた。
1681年(天和元年)、幕府は大成経を偽書と断定し、江戸の版元「戸嶋惣兵衛」、書店にこの書物を持ち込んだ神道家・永野采女と僧 ・潮音道海(ちょうおんどうかい、1628年-95年)、偽作を依頼したとされた伊雑宮の神職らを処罰した。後に大成経を始めとする由緒の明らかでない書物の出版・販売が禁止された。しかし、幕府の目を掻い潜って大成経は出回り続け、垂加神道などに影響を与えている。
【朝熊神社(元伊勢神社】
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われたように、伊勢神宮へお参りする人々はこのお寺にも参詣するのが習わしでした。
金剛證寺が伊勢神宮の北東に位置し、鬼門を守る寺として栄えてきたからです。
ご祭神:大歳神【天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊】
朝熊神社の「朝熊」(あさくま)とは、「浅隈」(あさくま=浅く曲がりくねった川)に由来する。ほかに空海が修行中、朝に熊が夕に虚空蔵菩薩が出現したことにちなむとする説、コノハナノサクヤビメの異称「葦津姫」に由来するとする説などがある。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子、大明星天王とも呼ばれる。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている。
[知恵の実]✨
ザクロは
「カルタゴのリンゴ🍎」と呼ばれた
なるほど‼️
ザクロ=396ね✨
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