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私の心が緊急事態宣言

昨夜は新学期で頑張っているだろう次男に厳しい言葉を夫がかけたことを知り、夜寝る前に夫の前でボロボロと泣いてしまった私。

夫を責めたいわけではなくて、多分小さな私が反応しているだけ。

そう伝えてから、私の気持ちを夫に聞いてもらった。


※今日はかなり落ちていて、その気持ちと向き合うために言葉にしてます。

読む人の配慮ができてません。

読みづらいし、ネガティブな言葉がたくさんあります。

それでも私は言語化して、切り替えたいのと、客観視したいので、ご了承ください。


過剰に反応するのはわかってほしかった私の想い

あのね、次男には感情で反応したらいけないってわかってるの、私。


頑張ってるからいいよ、とか

頑張れてないからダメ、とか

主観や親の価値観を基準にするような判断じゃなくて、


おうちのルールとして


 17時半までに家に帰ってくる

 21時以降はゲームをしない

 翌日の時間割や宿題は書いて帰ってくる

 学校のお手紙は帰ってきてすぐにカゴに出す

 夕飯の18時にはリビングに降りてきて箸を並べるなど手伝う


これは最低限守ってください、という話。

わかりやすい基準をつくって守れるかどうかということ。


学校で普段以上に頑張らなきゃいけなかったから今日はちょっと守れなかったとか、そういうさじ加減じゃなくて、そこは一定の対応をし続ける必要があるのはわかってる。

で、次男にはその方がわかりやすいし、守らなかったら自分に良くないことがある、という因果関係も把握しやすい。


夫は昨夜、翌日の時間割がちゃんと書かれていなかったから、言い聞かせた、と言う。

その通りなのよ。

だけど、私は涙があふれてしまったの。


「あのね、次男はこの1週間、かなり頑張って学校に行ってて、刺激も多かっただろうし、慣れないことも多い中で休まず行ってたの。

そこをしっかり見てほしいよ。

できてないところを指摘されたら、しんどいよ。」

というのが私の言い分だった。

言ってからハッとして。

そうかぁ、次男の気持ちに同化しちゃったみたいね。

いや「次男の気持ち」も、そうなんだけど、

「私だったら」なんだと思う。


難しいよね。

私だったらそんなふうに言われたらつらくなっちゃうし、頑張ってたことが全部無になっちゃう気がして悲しい、なんだよね。

だから私は、子どもたちにはそんなふうに接したくないと思ってしまう。

自然と湧き出してしまう気持ちとか反応。

でも一歩引いて考えると、その気持ちや反応は次男の子育てにはマイナスなんだよね。

私の主観で対応が変わったり基準が変わることってよくないのよ。


私の主観で私の行動が変わる、とわかればね、あの手この手で私の感情を揺さぶろうとしてくるでしょ。

自分の思うようにしたいと思ったら、私にどんな手が効くかっていうの、よくわかってる。

相手の反応を見て自分の都合の良いように行動してくるタイプには、主観は入れない方がいい。

あくまで客観的な指標で淡々と守ってほしいルールは絶対だと伝えていくし、守れなかったら自分が困るように仕向けていかないと。

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人間関係の距離感の難しさ

なんでこんなことを言うのか。

子どものタイプによっては、無意識なんだけれど親を自分の良いようにコントロールしてくることがあるから。


例えば次男は夫には絶対に言えない。

でも私には言ってくることがある。

私は言うことを聞いてくれるってわかっているから。

私は頼まれたらノーと言えないことも多いし、相手の状況を加味したときにそれは仕方ないよねって思ってしまうことがある。

うまくそこにつけ込まれると私がどんどん追い込まれていく。


夫と長男はその状況を感覚で察知してるから、次男には厳しい。

その姿にまた私は反応して、悲しくなってしまったり、次男をかばってしまったりする。


次男は私に言えばなんとかなると思っていて、状況や立場を考えずに気分でぶつけてきたりする。

特性があるから仕方ない。

だけど受容するのではなくて、一緒に考えたり、考えを整理したりする必要がある。

それなのに、私は今まで私が受けた感情を基準にして、いつも頑張ってるしね、なんて許容しすぎたのは今はわかる。


そのさじ加減って難しい。

特に子どもに「特性があるから」と言われると途端にハードルが上がる。


子どもの人権が守られるのは大切なこと。

でもうまく自分を守ることを学んでこられなかった人が親になって、子どもを育てるってものすごーーくハードルが高い。

自分を大切にできていないと、子育てで子どもを優先してしまいやすいタイプの親は振り回されまくってしまうんじゃないかと思う。

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自信下降なバイオリズム

環境からの影響を考慮しなくても、人はなんとなくいいときと悪いときっていうバイオリズムってある気がする。

今まではそんなこと気にもとめてなかったけど、最近、それを考慮しながら生活することの大切さを身に沁みて感じる。

ちょっと落ちてるな、ヤバいなってときは積極的に自分を守るようにしていかないと振り回されたり、周りに迷惑をかけてしまったりしやすい。

ちょっと調子がいいなっていうときは、調子に乗っていろいろとやりたくなったり、チャレンジしたくなってしまうけど、それは要注意。


元々パワフルだったから、何でもこいっ!って感じだったけど、子育てと仕事の両立では落ちたときのダメージが生活に与える悪影響は半端ない。

落ちても容赦なく家事と育児はやらなきゃいけないし、だけど落ちてるメンタルでは振り回されたりうまくいかなかったりすることが多い。

私はさらに仕事にも影響する。

淡々と仕事ができているときって調子がいいときで。

目の前の患者さんに集中しすぎている時は、困り感に振り回されてしまっているとき。

淡々と、がいい。

人の役に立ちたい、という気持ちは心の奥でさりげなく佇んでいるくらいが丁度いい。


人のためだったら何でもできる、という私の強みが、今は自分を追い込む弱点でしかないのが本当につらい。


つらいときこそ、自分を変えるチャンス。

今までのつらかった私を子どもに投影させて子どもを守ることで自分を高めていくのではなくて、私自身をちゃんと守りたい。

子どもを守る前に自分をちゃんと守る。

それが基本。

人間関係は温かい側面もあるのだけど、その前に駆け引きなんだな…と今になって実感する。

私って今までどんな世界で生きていたんだろ。


他人軸で、人のために生きないといけないと思い込んでいて、母親になったら子どものために生きなきゃいけないと思ってた。

それってものすごく残酷なこと。

どんどんエネルギーは吸い取られ、自分の生きてる意味がわからなくなっていく。


もう少し自分の声を聞こう。

つらいときは自分を優先にしたっていいじゃん。

親として、の前にひとりの人間として嫌だって言ったっていい。

今は調子悪いから助けてね、手伝ってねって言おう。

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しんどいときの注意点

ここ1週間、しんどい。

次男の面談も長男のスクールカウンセリングの滑り出し好調で、良い感触をつかめている。

にもかかわらず、しんどい。

気負ってきた部分もあるからだと思うし、先生が変わるなどの環境変化の緊張感もあるし、仕事のあとはドッと疲れが出てる。


そんなときに人のイヤな部分を見たり、セールスを前面に出したトークを聞いたり、人をモノとしか思っていないような対応をされるとドーーーンとやられる。

そこに子ども関係の対応入ったり、仕事でイヤな感覚を押し付けられたりするとダメ。

今、私はそんなとき。

ここんとこちょっとヤバいなぁーと思ってる。


でもこれは永遠には続かないから、省エネモードで淡々と過ごすしかないと思う。

それが今まではできなくて、ガチで体当たりしてきちゃったのだけど、相手もいることだからその戦略はもう難しい。


そんなことを考えながら、今日最大のイベントを前に怯えてる。

大人になってもいろいろある。

子どもの頃からちゃんとレジリエンス、育てたいなぁってしみじみと思う。

私は育て直し中。

もう私は大丈夫って日々が早くくると良いな。

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