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2.城壁都市「蛇籠」

 鼻先を流れ行く岩壁が、ふいに目前から消えた。

 臓腑が浮き上がる嫌な感覚が走るや否や、強烈な向かい風になぶられ、慌てて機体にしがみつく。まくれ上がる腰巻《スカート》もそのままに、崖下へ落とされぬようアクセルを握りしめ機体を加速させた。

 そのように狼狽えるうちに、とみに月が翳《かげ》る。

 何事かと頭上を仰ぐと、遥か上の航路を流線型をした鉄造の大型硬式飛行船が1機。腹の下に護衛らしき小回りの利く回転翼《プロペラ》機を2機従え、唸り声のような轟音を降らせゆっくりと過ぎゆく。ターミナルを目指し飛行しているのだろう。

 圧巻とも言えるその姿に停止飛行《ホバリング》したまま見上げる自らの周りを、知らぬ間に飛来した何かが2機。螺旋状に旋回し様子を伺っている。

 白い前照灯《ヘッドライト》を点滅させた、漆黒の偵察用無人航空機《ドローン》「八咫烏《ヤタガラス》」だ。Y字型で腹部に写真機《カメラ》が取り付けられている。3つの回転翼《プロペラ》が軽快な音を立てている。

 入都審査か。自分が前科持ちで無いと確認したか数秒後、再度周囲を一度螺旋状に周り、身を翻し彼方へと散開し何処かに引き返していく。その後ろ姿を見送り、熾火おきびのように灯りのともる蛇籠の都を見下ろした。

  抉られ切り崩した山肌に建造された城塞都市「蛇籠《じゃかご》」。

 今から約200年前となる西暦1915年。|宇宙の彼方から一つの隕石が飛来しこの星に落ちた。巨大であったその石は高層圏で燃え切らず、砕け散り、世界各地に降り注ぐ大惨事となる。そしてこの大厄により世界は地形的にも、経済的にも大きな変貌を遂げた。この「蛇籠」も隕石の一部が落ちた影響で変形した特殊な地形に作られたと言われている。

 こうして空から見下ろすと確かに、類を見ない不思議な都の造りが良くわかる。

 山の斜面を抉り、作り出した平地に建てられた都。そのためか、今しがた飛行している南の部分だけが外界に開かれて、左右正面の三方向は全て高い崖壁に阻まれている。

 特に奇妙なのは真正面、つまり再奥、北側の壁面だ。この箇所だけ岩を組み上げ、金属板を貼りしつらえ、妙に人工的だ。実際ただの岩肌ではなく、庁舎的な役割を兼ねているらしい。不規則に並ぶ小さな四角い窓から、深夜にも関わらず、室内灯が漏れているのが見える。

 人工壁の両端、壁面上から落ちるのは、白い水飛沫を上げる瀑布だ。真下に落ちたその水は深く広い堀に溜まり、溢れ、城下町に碁盤目状に巡らされた疎水となる。疎水は都市部の生活用水、工業用水。そして移動手段としても使われている。暗闇の中、水路を行き来する小さな魚の背のような小舟がここから何艘も見える。

 そうして疎水を下った水は終いには外れにある溜め池に集められる。その水が溢れると、先ほどの岩崖を落ちる大滝となり山を下って排水されているようだ。

 不思議なのは、都が乳白色に霞んでいることだ。城下町のあちこちで、揚水機を動かす蒸気機関、建物程の大きさの工業用の回転式動力《エンジン》が煙りを巻き上げ回転し稼働しているようだが、疎水の水まで白く染めるあれは一体……。

 そのまま都の中央部へ視線を走らせ……ああなるほど理解した。

 都の中央を縦断する一際大きな疎水。その両脇に大量に桜が植えられている。時は卯月。花は満開。疎水の両縁に等間隔に立つ石燈籠《いしどうろう》の灯がより白くはっきりと桜の花の姿を闇に浮き立たせる。山間特有の冷たい山風が吹くたびに花びらが舞い、漂う霞をさらに深く色濃くしてゆく。

 帝都「桜華」の支配を受けている都は、従属の証として桜の苗木を送られるらしい。周囲を囲む山肌にも野桜が白く霞み咲いている。蒸気と花霞はまるで、この閉ざされた都の底におりた白い滓《おり》のようだ。二つは混ざり合い漂い燻っている。

 その霞の中を身をくねらせて何かが泳いでいる。あれは大蛇……?

 瞬きし、航空眼鏡《ゴーグル》越しに目を凝らす。あゝ。錯覚か。
 先ほど気づかなかったが、再奥の人工壁の中央。丸く弧を描き尾を咬む巨大な蛇の装飾が施されている。この距離からでもうろこ一つ一つが、月明かりを反射し光る様が厭に生々しい。「蛇籠《じゃかご》」という名のこの都を象徴するにふさわしい巨大な蛇の彫刻。今にも動き出しそうな雰囲気だ。
 
 幻想的でありながら、閉鎖的。言葉にし難い圧迫感のある不可思議な都……。昼間、旅行者が都に伝わる蛇の伝説について語っていたような……。

――コロセ……!!

 声……! 妖霧の声に、不意に現実に引き戻される。そうだ。まず奴らを駆逐せねばならなかった。意識を集中し耳を澄ます。気配が立ち昇る、自分の足下へと視線を移した。

 張り巡らされた大小様々な水路が合流する溜め池。声はこの辺りからするようだ。

 私は身体を右にぐいと倒し、キックボードの舵を切る。機体が右へ大きく傾《かたむ》き、ゆっくりと降下を始める。

  池の周囲はぐるりと木々が囲み、鎮守の森の如き様相を呈している。しかし不思議なことに、桜の樹が一本もない。意図的に排除したのか。しかし疎水が集めた大量の花弁が水面を乳白色に染め上げている。

 森の上を旋回する。泉の東側、都を囲う山肌から、崩れ落ちたらしい土砂が出島をなしている。小高く土が盛られ、石段が造られ、上には赤い鳥居もある。奥には木造の小さな社。あながち鎮守の森という例えも間違えではないようだ。

 さらに高度を下げ、梢ぎりぎりを飛ぶ。前方、次第に妖霧の気配が濃くなってゆく。一箇所、木々が切り倒され、開けた空地となっている場所がある。声はそこからする。機体を急停止させ、上空からその場所を覗き見下ろした。

――ヒトの気配。

 空き地に動く人影を二つ確認した。問題はそこでは無い。人影の前に形をなす妖霧。操舵《ハンドル》を握りしめ、弱点となる核の場所を探ろうと、じっと奴を睨みつける。

 しかし。目下の妖霧にいつもと違う、ただならぬ特性を感じ、思わず目を見開いた。

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