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新人助産師になる春、月とすっぽん、桜とみかん。


新人助産師をご存じだろうか。

去年の4月の私のことです。

私だけでなく、全国に新人という
お守りなのか、免罪符なのか、
はたまた重罪なのか、
よく分からない名詞を背負った
助産師および看護師が
あちこちらにたくさんいる。

「新人助産師」というのは、実に憐れな生き物であって、挨拶を返さぬ珍獣との出会いを果たし、味方と思いきや圧倒的黒ボスの存在、知らない分からないことが盛りだくさんの中、信じられぬ責任の重たさに精神が悲鳴を上げ「これ2回目だよね?」という先輩の言葉の刃に心が出血多量の後ショック状態を引き起こし「輸血はどこですか?担当医はどこですか?」と叫ぶも誰にも反応してもらえず、孤独に苛まれ朽ち果てて行く。

ほぼホラー映画。
書いてるだけで怖くて涙が溢れてくる。
新人に人権と安寧を。
私にどうかハンカチを。

去年の春を思い返してみる。

社会人になる現実を受け止めきれず、現実と向き合う努力を放棄した私は「やってらんない」と高らかに宣言して家でくすぶり続ける。そんな私を見て家族が呆れる。「いい加減にしなさい」と啖呵を切ったのは我が親愛なる母。「このままだと干からびるよ。いいですか、これから私達は桜見に行きます」と私に宣告し、寒がりの私にコートを着させ、マフラーを投げ、帽子を被らせる。初めは必死に抵抗していた私ですが、我が母に勝てるわけもなく、最終的に玄関にておとなしく待つ。

玄関で待ちながら私は思う。
「助産師になれるわけがない、
なっていいわけがない、
全然働きたくない」
「そもそも助産学校を卒業できた時点で
私の奇跡ポイントは底をついている。
私の今後の人生に待っているのは
レミゼラブルもかくやと思われる悲劇のみ。
そんなのどう考えたって辛すぎるじゃないか」

頭に思い浮かぶ言葉は大体
インシデント大量発生、新人いじめ、精神崩壊、
免許剥奪、人生迷走、ニート誕生などなど。
私の妄想がとんでもない速度で進んでいく。 

桜見に行った。
目が鮮やかになる。
土の香りがむんっとする。
桜の枝が風に揺れる。
それはもう、とんでもなく綺麗だった。
まるで繊細な和菓子。
桜には魅力しかない。
問題があるのは私の心の内。

桜を見ていると、己の奥底にある感情の醜さや澱みがぐつぐつと煮えたぎって露わになってくる。4月が怖い。人間関係が怖い。自分の不甲斐なさと不器用が怖い。拒否されることが怖い。何も始まっていないのに、頭の中は悲観的妄想ばかりが繰り広げられ、口を開けば弱音と愚痴ばかりを吐き出し、幸せそうな人間を見るとじっとりした温度が体内に染み渡り、他人の幸せを祈る余裕など一切ない圧倒的な器の小ささを誇るヒト科ヒト属ホモサピエンスみかん。

一体いつからこんな人間に成長してしまったのか。今後改善の余地は一体あるのか。

まるで、月とスッポン。

果てなく、桜とみかん。

耐えきれず私は桜から視線を逸らした。

去年の私へ。


ショックに思うかもしれませんが、
現在の私は、去年の私と然程大差ない。
勿論、知識と経験は多少得た。
だがしかし、未だに謎は多い。
分娩介助は手が震える。
先輩に挨拶を無視されると精神にひび入った音が響き渡る。職場からの帰り道は嬉しくて大体るんたった跳ねてる。「仕事に行きたくない」と言いながら起きる朝がある。「夜勤なんてものを発案したのはどこのどいつだ」と文句を垂れ流して布団に入る昼がある。「もう森羅万象が無理です」と言って机に突っ伏す夜がある。ホラー映画は今も続いている。

でも、ずっとホラー映画っていうわけでもない。時々お腹を抱えて笑っているし、綿菓子の如くほんわかした気持ちになることだってある。ベランダでサイダーを飲みながら小学生の帰り道に目を細めるなど平和を濃縮したような気分を味わうこともある。湯船のお湯の温かさとか、給料日の口元の綻びとか、心地良い音楽に揺れる身体とか、友人と会った時の柔らかい空気とか。理不尽も冷たさも苦渋も痛みも暗闇も頭を抱えるような記憶も、幾らだって思い出せるけれど「起きたことはもう仕方ないでしょうが」と開き直ることができるようになってる。決して自慢できてることではないけれど。勿論、開き直ることができない時もあるけれど。それだってご愛嬌。

それでもやっぱり辛かったら逃げとくれ。
私は看護師免許を持ってる。
助産師免許を持ってる。
この免許は私を苦しめる為のものではなく、
私が、私の為にとった、私だけの免許です。

この世の中に、職場も求人も溢れ返るほど。
自分の可能性は溢れに溢れて
止まる気配がまるでございません。
素晴らしいったら、ありゃしない。
立ち向かうもよし、逃げるもよし。
ただ胸を張るのです。
その先に桜の如く、
咲き誇るほどの幸福あり。
たぶん。
責任は一切受け付けておりません。
自分の尻は自分で拭ってくれ。
そりゃ当然よ。 

少なくとも、今年の私は桜を見て
「あんれまあ、なんて綺麗」と
桜から目を逸らすことなく
ポンデリングを食べてる。
図々しく生きてる。

すっぽんで何が悪い。


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