記憶のフレグランス
毎日高波がが岩を叩きつける音や、鳥たちの声、南国の雨の音を聞いている。
遠くから吹く風が今、ジャングルの木を揺らして通り過ぎた。
大きく揺れる木々を見ている。
旅から戻るとただこうして座り、音を聞き続ける。
ハワイは音。
自然の音が朝も夜も止むことはない。
ここが今わたしが在る場所。
こうしていくつもの場所で、人生が創られていった。
その時々に在る場所で、一から出会ったすべてのもの。
カリフォルニアの家の窓から見えたベイブリッチの上を、チカチカと光りながら飛ぶたくさんの飛行機や、ジャクジーに浸かりながら毎夜見上げたオレゴンの星。
悲しい時、ベットに寝転びながら見た窓の外には、いつも緑の葉が揺れていた。
一つずつ暮らしをつくり、たたみ、またつくり。
形はなくなっても、わたしには見える光景がいくつもある。
過去というにはあまりにも鮮明に感じられる記憶。
やはり時間はリニアではなく、今もあちこに点在する現実なのかもしれない。
そしてそのすべてが、わたしのエッセンスとして個性に変化していくのだろう。
いくつものエッセンスが重なって、一人一人のフレグランスになっていくんだと思う。
実は最近想っていることがある。
自分というフレグランスのキーノートは、もしかしたら生まれ育った日本かもしれない…
そんなことを想ったのははじめてで、それがおもしろくてじっと観ている。
30年前に飛び出した国。外で生きる年月の方が長くなってきたのに、なぜ今そう思うのかな。
日本という基調の上にたくさんの複雑な体験を重ねた香りとはどんなものなのか。
自分にはまだよくわからないのだけど、もっと知りたいと思い始めた。
半世紀以上の旅は今、日本という長らく留守をした場所へと向かっている。
わたしが唯一すべき事は、こうして自分の内側を見つめ続けることしかない。
どこまでも忠実に感覚を信じること。
孤独を楽しむこと。
いつの日かこのフレグランスが唯一無二の香りを放つまで。
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