20170909_現国課題_死ぬために生きている.docx


Introduction:発掘

日曜日の昼下がり、部屋の掃除をしていると、高校三年生の夏休みの課題として書いたのであろう文章を発掘した。高月義照著「なぜ日本では臓器移植がむずかしいのか」に対する書評、と言いたいところだがその実態はとても書評とは呼べないよくわからない文章だった。何が良くわからないかと言うと、最初に問いを提示したにもかかわらず、特にこれといった解を出せていないことなどが挙げられる。とはいえその内容が、なかなかに香ばしくそして何やら不穏だからといって全く2023年の私に示唆を示さないかと言うとそうでもなく、それなりに満足感を与えた。そして2023年の私が、一切の修正をせずそのままここに残したいと考えた。

死ぬために生きている~死を定義するということ~ 3年H組 ○○ ○○

人はいつ死ぬのだろうか。生と死の間に、明確な境界はあるのだろうか。もし無いとすれば、『死こそが人間の生を生たらしめ、生を意味付ける』のだから、そもそも人は生きているのだろうか。科学的、或いは主観的に構築された死の定義を、私たちはなぜ受け入れてしまったのだろうか。ひとたび死について思考すると、尽きることのない疑問が浮かび、言いようのない焦燥感を覚える。一学期に扱った「死の再定義」という文章は、臓器移植を正当化するための脳死判定と、そこに至るための様々な生と死の捉え方についての評論である。しかしこれは、そもそも人はなぜ死を定義したがるのか、という、より大きな疑問を私にもたらした。死の定義付けを必要としているのは誰で、それが成功したときにもたらされる恩恵は何か、という問いである。

この世界で、時代の進歩によって生み出された生死に関する歪は、何も脳死に限った話ではない。病院には意思疎通のままならない寝たきりの人、介護施設ではまるで監禁されているかのような環境で、重度の認知症患者が”生きる”。医療の進歩に対して人間そのものの能力が全く追い付いていないのだから、そのバランスが保てないのは当然だろう。故に、生が終わった、という瞬間への認知は個人間では開いているように感じる。脳機能が失われたとき、心臓がその息の根を止めたとき、自分一人で生活できなくなった時、全ての記憶を失ったとき、人間らしく生きられなくなった時、人間として“幸せな”生き方を貫けなくなった時、娘の名前を思い出せなくなったとき…。

医療と救命ないし延命という名の人為的、機械的介入と操作を行うようになった。そのことによって生命の始まりと終わりの場所が拡大した

時代の進歩が死の定義を困難にした。死という瞬間にパーソナリティがより強く存在するようになったのだ。自己は不鮮明で、そして困難であり、死は恐怖である。人によってその形態は違えど、それ自体を避けることはできない。著者によると、『死からの救済が人々の切実で重要な願望』なのだ。これは私には、人が肉体的死の定義付けに固執することによって、靄に隠されているより広義の意味での死や、自身の生きる意味の探求など、億劫だがしかし絶対に訪れるであろうその瞬間を、避けているように感じられてならない。冒頭に述べた疑問の解としてあてはめるならば、「生きるということにとって必要となる重要な要素の一あるいは生と切っても切り離せない関係の何かしらと、トレードオフのもの」として、死を定義する試みが存在しているという状態だ。

順番が前後したかもしれないが、私個人の死の認識について書きたい。私の人生を客観視する自己は、いつも二つ存在する。一つは、いわゆる多くの人が思い浮かべる“人生”だ。目標があり、夢があり、欲望があり、絶望があり、怠惰があり、感情の起伏があり、私は生きている。それが幸せであろうともなかろうとも。これを人間的な人生観と捉えるとすれば、もう一つは、非人間的な人生観とでも呼ぶのが良いだろうか。物心ついたときから私はこの観念との共存を強いられてきて、どうせ死ぬのに、なんでこんなに頑張って生きているのか、と考えることが多かった。どうせ死ぬのに。私は幼き頃、その大小に関わらず何か失敗をすると世界が終わったような気持ちになった。スイミングスクールで進級できなかった時、学校で先生のことを間違えてお母さんと呼んでしまった時、クラスの友達から省かれている気がしたとき、そんな時、こう思うのだ。「宇宙から見たら、私が失敗をしようが、心を痛めようが、死のうが、何も痛くも痒くもないのだな」と。きっと私が死んだら両親は悲しむのだろうが、その悲しいという感情ですら、宇宙から見たらどうってことないんだろうな、というところに収斂してしまった。発生する出来事、それによって生まれる感情、全てがなんともどうでもよく思える。ひねくれた子供だとか、逆にポジティブ思考で素晴らしいとか、他人がどう思うかは多岐に渡るだろうが、ひねくれていたりポジティブであったり(又はその逆であったり)という特徴はまだ人間的な価値観であるから、そんなことは意に介さない。まだ若いんだからもっと人生を楽しみなさい、という中途半端なアドバイスには嫌気がさし、人間的な人生観の私の意識ももちろんそう思っている。私の中のこの二つの自己は、お互いに信じられないくらい客観的にお互いを捉え、共存しているのだ。何か困難があると、非人間的な人生観が私をあまりにも大きく占領する。つらいとか、投げ出したいとか思うのは人間的な方で、それを超えた何かが自分の中に渦巻く。一言で表すと、無だ。だから私にとっての死の瞬間は、存在しない。常に死んでいるし、常に死んでいないし、常に生きているし、常に生きていない。死を受け入れた風を装って、私は無意識に、私なりの手法で、死について考えることを拒否しているのだと思う。

私たちがそもそも「生きる意味があるのか」と問うのは、はじめから間違っている。人生こそが私たちに問を発しているのであって、私たちは「問われている存在」なのである。

人間の感情の影響を受けないなにか物質的な現象を差し、「ここが死である」と決めてしまうことは、なんと楽で、生きやすいのだろう。

以上

Conclusion:埋蔵

高校三年生の私は「私の中のこの二つの自己は、お互いをひどく客観的に捉え、共存しているのだ。」と思っていたらしいが、残念ながら社会人1年目の私の中では共存に失敗してしまっている。その失敗の容態が如何様であるのか、ということを言葉で説明できるほど自分について理解が及んでいないことが悔やまれる。どちらにせよ、生きる意味があるのかという問いを突き詰めすぎると、実は人が生きる意味などどこにも無いという結論に達してしまうことを察したあの時から、私はそのことを極力考えないよう心掛けているし、その結果として「無」を獲得しようとする態度は幼き頃より強化されてきたようだ。


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