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私は美しい人として生きていくことに決めた

いきなり、なにいってるんだ?

って思うけど決めちゃった方が楽だし宣言しよう。

Yukiさんのこちらの記事をみて

今年41歳の私は奮い立ったのだ。

『さらにもっと細かく言うと40~42歳って、女の最終コーナーだと思ってて。女として華のある最後。』

とてもわかる。

あれは女子大生だったとき。

母と地元の駅前の喫茶店(カフェでなく)で向き合っていた。

出かける前に珈琲を飲みながら

とりとめもない話をしていた。

おしゃべりのあいだ私は

何度も何度も目を凝らした。

その日の母の目元や唇や肌が、

しっとりと霞(かすみ)がかって

やたら妖艶に見えたのだ。

キッチンに立つ母が

そんな風に見えたことはないから

窓を背にしていた光の関係だったのかもしれない。

駅からどこへでかける予定だったのか

もう忘れてしまったけど

どうしてそんなに美しかったのか。

いまなら少しだけわかる気がする。

当時はただ

ずるい。

こんな雰囲気絶対出せない。

嫉妬のような感情を持った。

あのときの母は41か42歳だった。

「母」の美しさに嫌悪感を持つほど子供でなかった。

私もちやほやされる年頃だったけど

あ、太刀打ちできないんだな

と妙に納得した

とても不思議な時間だった。

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いまの私、

気を抜くと口角が下がってしまうし

睡眠が足りないと瞼はしぼむ。

光で飛ばさないと顔の影が濃くなる。

肌にハリはないし、

定期的に美容院へ行かないと

白髪がぴんっと立つ。

目は見開かないとしょぼんとしてしまう。

小さな手鏡を見ながらくるくる回って光を味方につけてみても

あのときの母のような妖艶な美しさは

見つからない。


でもダイエットを始めたら

久しぶりにくびれが戻ってきた。

顔の筋トレをしたら

あごまわりがすっきりしてきて

体が軽くなってきた。


体が軽くなったら

心も前より軽やかになってきた。


私はいまの私がすきなんだ。

いままでの私のなかでいちばんすきなんだ。


穏やかな顔をしている。

ギラギラもガツガツもない。


ほんとにこれでいいの?

もっとがんばらなくて大丈夫?

だって、まだ時間がある。

この時間を使ってなにかしないと、

勉強とか、作り置きとか…

なに者かにならないと。

だって、私の友達はみんなすごいから。

同じ年なのに

同じ性別なのに

あの子はあんなに稼いでいる、

あの子はあんな職業、

私、おなじ学校を出たのに、

たくさん教育にお金を使ってもらったのに、

全然、元取れなくてごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんじゃない。

わるくない。

わるいことなんかしてないんだよ。

人と比べない。

わかっている。ずっと知っていること。

でもちゃんとわかったのは

ここ最近のこと。

私は私。

ずっとそうだった。

鏡を見たとき、

目尻に小さな皺。

睫毛の量も減った。

でもまんなかに穏やかな光がやどっている。

妖艶ではないけれど

その光を私は綺麗だと思う。

私は綺麗。

私は美しい人として生きていくことを決めた。

これからずっと。

おばあさんと呼ばれる年になっても。

何かにとらわれすぎない。

困っている人に寄りそう。

弱っている人を

羽のようにふわりと包む。

大切なものを大切にする。

大丈夫だよとほほえむ。


なにもしない時間があたらしい場所へ連れていってくれる。

余白を愛す。

こころもからだも

私はいまの私がいちばんすき。

自分のことをすきと言っても大丈夫。

はずかしくない。

これからももっとすきになる。

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