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東海道の見張り場 気賀関所

静岡県西部、現在の浜松市に当たる場所に気賀関所はあります。1587年、徳川家康の家臣であった本多作左衛門により気賀の町が宿と定められます。

関ケ原の戦いで徳川軍が勝利すると、江戸幕府が始まりました。しかし、諸国大名の謀反を恐れた家康は、江戸へ他の者が勢力を強めて攻め入るのを防ぐため全国に53ヵ所の検問所、関所を設けたのです。

関所の役割とは

江戸を守るために設けられた関所では、通行人を厳しく取り締まっていました。昔は藩の行き来がとても難しく、通行するためには「通行手形」が必要だったのです。

新居関所と気賀関所

全国53ヵ所に設けられた中の1ヶ所、気賀宿の入口に設けられたのが気賀関所です。特に気賀関所は箱根や新居関所とともに江戸の警護には重要拠点となりました。

また、気賀関所は新居関所の裏番所として厳しく監視していた場所でもあるのです。

入鉄炮出女の監視

江戸の治安を守るため、関所では武器となる鉄炮の持ち込みが厳しく取り調べられていました。また、家康は諸国大名の反抗を防ぐため、大名の奥方を人質として江戸屋敷で住まわせていたのです。

そして、大名もまた反抗すれば奥方や姫が処罰されると考えていました。
しかし、関所を抜け出す女性も多くいたといいます。

たとえば、箱根の関所では入鉄炮の取り調べはなかったのですが、出女には厳しく監視され、体の隅々まであらためられていたそうです。

気賀関所の設置は姫街道を監視するため

東海道の脇街道としても有名な姫街道は、震災等で東海道が通行できなくなった時のう回路としても利用されていました。東海道が太平洋側を通るのに対し、姫街道は浜名湖の北側を通る道です。

そのため、細く険しい山道が続き難所となるヵ所が多くあります。しかし、東海道を通行するのには浜名湖を渡るために今切(いまぎれ)の渡しを利用しなければなりませんでした。

今切の渡しと新居関所

今切の渡しが運行する遠州灘は風も強く荒波で危険も多い場所です。同時に今切の渡しが女性からは縁起が悪いと避けられたといいます。また、新居関所では厳しい女改めの取り締まりがある関所でした。

そのため、女性が1人で歩けるような道ではなく、どんなに険しい山道でも姫街道を選ぶ女性が多かったといわれているのです。

ブームとなった抜け参り

抜け参りとは、奉公人や主人などの許しを得ず黙って伊勢神宮へ参拝することです。「一生に一度はお伊勢さん」と言われるほど憧れる伊勢神宮でした。

しかし、昔は様々な事情により気軽に行けるような場所ではありませんでした。そこで、家族にも黙ってこっそり抜け出して伊勢神宮へ参拝に行く人が多くいたのです。

戻ってくれば叱られるかと思えば、そうでもなく当時は伊勢神宮参拝が良い行いだという風潮もあり誰からも責められることがありませんでした。姫街道では当時、このように抜け参りをする人が多かったのです。

姫街道では、気賀関所の命令でやって来た見張り人が毎日監視していましたが、それでも抜け参りは絶えなかったといわれています。

徳川吉宗の母 浄円院

八代将軍、徳川吉宗の母である浄円院篤姫、他にも多くの大名が姫街道を通ったといわれています。

姫街道と呼ばれるようになった由来は、女性が多く通行したから東海道が男性で脇街道が女性と考えられたからなど様々です。

浄円院は紀州から江戸へ向かう途中、気賀宿で一泊されたようです。その時の夕膳朝膳が再現されていました。当時のお付きの方々も同じものを食べられたと考えられています。

気賀関所

【住所】
 静岡県浜松市北区細江町気賀4577
【公開時間】
 9時~16時30分
【休業日】
 無休
【入場料】
 見学無料
【アクセス】
 公共交通機関
  遠鉄バス「JR浜松駅」より乗車し「片町」または「気賀駅前」下車、
  徒歩約3分
  天竜浜名湖鉄道「気賀駅」下車、徒歩約3分
 車
  東名高速道路「浜松西IC」より約20分


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