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「関係者以外立ち入り禁止」の表示。そういうエリアに出入りできる人への憧れに似た気持ち。


「参加するだけじゃ満足できない」

一昨年の秋、思えばちょうどこれくらいの季節から動き出したような気もする。土日を使って平日のモヤモヤをどうにか晴らそうとして、気になる場所や人に会いに行き始めた。

特に、全然関わりのなかった地域で過ごす時間は、とても刺激的だった。いつもの関西とは違う空気やまちなみ以上に、私にはそこの人たち、同じくその場に各地から集まった人たちと話す時間が、これ以上ない醍醐味だった。

アドレナリンがでっぱなしの旅が終わった時、帰り道一人になってひといき着いた時、いつも同じ感覚が自分の中でぐるぐるする。

それは憧れと羨ましさと、ちょっとした焦燥感、悔しさのようなものかもしれない。さっきまでいた場をつくってきた側の人たちってすごいな、そういうチームっていいな、各々の想いをぶつけ合いながら一緒につくりあげるような仲間っていいな。自分には何が出来るやろう、そういう仲間っているんかな。いつか出来るやろうか。でも、いつかっていつやろう。

自分たちを受け入れてくれる人たちの表情が魅力的で、参加したみんなの顔の変化が印象的で、自分もそういう変化を生み出せるような立ち位置にいたい。
「参加するだけじゃいやや」なと思った。

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「つくり手」になりたいという気持ちは、今の仕事では、憧れの世界に実際のアクションとして、少し近づけているように思う。数あるプロジェクトの中で、尼崎にメインで携わっているとうこともあり、最近公私ともによく尼崎に関わるようになってきたけれど、「参加者じゃない立ち位置」というのを、少し実感できてきた気がしている。
「なかのひと」という感じかな。

この週末、東京はじめ、遠方から友人たちが尼崎に遊びにくるということで、私も仲間に入れてもらった。尼崎に住んでいるわけではない、出身でもない、尼崎歴・半年くらいなのだけれど、「尼崎側の人」として入れてもらえたのが、実はすごく嬉しかった。

みんなが来てくれると思うと、ここを見てほしい!この人に会ってほしい!これを食べてほしい!とかいろいろ出てきたこともなんか嬉しかったし、当日みんなと過ごす中で見られた笑顔とか、「いいね」「また来る」「楽しい」「面白い」ということばたちに、うわーーーー幸せやわーーって思った。

これまで自分が参加してきた空間をつくっていた人たちが感じていた気持ちも、こういうやつやったんかな。

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とはいえまだ仕事のプロジェクト以外で、何か「なかのひと」としてできているかというと、正直、ほぼない。

その場にいてくれる人たちの楽しそうな様子やきらきらした表情を見ながら、心でにやにや幸せを感じられるようなことを、これから増やしていきたいと思う。



2018.11.12

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