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その感じた「なんか違う」はなんなのか。


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この前の休み、友達と話していて、転職しようとしはじめた頃のことを思い出した。

いわゆる大手の転職サイトに登録したり、Wantedlyを使ってみたり。転職先を探して、面接を受けて。その中でも見つけて心がどきどきするのは「日本仕事百貨」の中の求人だった。載っている文章を読んで、「ここかもしれない」って鼓動が高まる感じ。それで、いくつかそこから応募をして、実際に面接もしてもらった。関西で会ってもらったところもあれば、千葉まで向かったことも思い返せば懐かしい。

そういう、自分の心が動いたところにしか応募はしていなかったけど、実際に会って話してみると「なんか違う」って、結局転職する決断には繋がらなかった。そういう話を友達としていた。

「興味のある分野で、しかも書かれている話を読んでどきどきしたはずなのに、なんでなんか違うってなったの?」「何に、なんか違うって感じたの?」

言われたそのことばに、一瞬はっとした自分がいて。お酒を飲んで少しふわふわしていたとはいえ、「あれ、なんでなんやっけ」って思っている自分がいたのはちょっとショック。自分でオイオイ!と言いたくなったけど、しゃべっているうちに、ちょっとその時の気持ちとかがよみがえってきた。

どこの求人だったかは言わないけれど、面接をしてもらったひとつのところについて思い返せば、その会社が地域でコミュニティを作ったり人の集う場を生んだ、という行動の原点は、私が大事にしたいなと思っていることとは少し違うように感じた。

私の出発点はなんなのか。
ひとつは自分と同じような、モヤモヤして一歩踏み出せないでそれをもどかしく感じているような人たちのために、大丈夫、やってみようよって、そのはじめの一歩を進むきっかけを作りたい。もうひとつは、学生時代に電車に乗っていて感じた、「大人ってなんでこんなに表情がないんやろう」「社会人てつまらなそう」ということ。どうしたら表情のある生き方ができるんやろう?年上のお友だちには、すごくかっこよくキラキラした表情の人もいるのに、その違いはなんなんやろう?もっといきいき生きてる人を増やしたい。
そのふたつの気持ちが、私がコミュニティや人の繋がりが生まれる場づくりをしたいというように思う原点だったりする。(なんでそういう気持ちから「人の繋がり」というキーワードに至ったのかはまた別の機会に文字にしようと思います)

「自分たちが楽しければオールオッケーで、興味があるなら全然ウェルカム。やりたいなら一緒にしながらそのノウハウ伝えるよ。」っていうのとは違う(と思いたい)。
そこまで直接的に言われたわけではなかったけど、オブラートに包んでお話されていたことはそういうことだったと、当時の私は感じた。

もちろん自分たちが楽しくできるっていうのは必要で、意味あることをやっていても苦しければ続かないことはよく分かってるつもり。どういうやり方が間違いとか、そういうのもないと思う。結果的にその地域の人や周りに起こる変化は同じなのかもしれない。

でも、改めて今あの時の「なんか違う」がなんやったんやろうと考えてみて思うのは、私は「人がポジティブな方向に変化(前進・成長)」する様子を側で見ていたくて、その変化のきっかけになりたい。だからたぶん、私が目指したい場づくりやコミュニティづくりは「ただただ自分が楽しければOK」というものではなくて、プラスアルファ「相手への気持ち」がいるのだと思う。

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日々の中で、文章を読んでみてここなら同じ想いをもっていそう、共感できそう、と感じることは色々な場面であると思うけど、やっぱりそこだけで終わるのではなく直接会って話すことは大事。そういうことにも改めて気づけた。

ただ、「自分が楽しいだけじゃなくて」とは言ったものの、これまでイベントとかを個人的にやったことがなかった私が一歩踏み出すきっかけとして、実は、まずは自分が好きなこと・やりたいことをイベント化してみようかなと企んでいます。言ってることちゃうがな!と言われちゃうかもやけど。
それでも少しはプラスアルファで、「相手」への気持ちを込めたものにできたらいいなぁ。

まずは餃子、かな。

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