セーラーマーキュリーになれちゃうイマドキ。
私の小さい頃の憧れは
セーラーマーキュリーでした。
頭がよくて、ショートヘアが似合って可愛くて。
大好きだったから、
髪をショートにしてみたり、
グッズを集めたり、
中学生や高校生になったら、セーラーマーキュリーみたいにみんなに一目おかれるくらい勉強するんだー、
って思ってました。
中学で部活に入ったときは、
最上級生が優しくて明るくて面白くて、
こんな風になれるかなと思って
入部を決めました。
これやってる人かっこいい!とか
こんな風になりたい!から
私のいろんな世界が始まることが多かったので、
私にとって憧れの存在はとても大切なものです。
だけど最近、
憧れの存在が近くなりすぎちゃってるんじゃないかな、と思うことがあります。
そう思ったきっかけは、
あるインスタグラマーの記事。
http://www.fragmentsmag.com/2015/11/essena-oneill-lets-be-gamechangers/
これを読んだとき、
憧れというものは、
手を伸ばせるようで絶対に手が届いてはいけない存在、
だと思いました。
この女の子はすでに、誰かの憧れの対象です。
ネットだと、SNSだと、憧れの存在になれちゃうのです。
可愛い一瞬を切り取ることができます。本当の自分とは違う発言ができます。
フォロワーがたくさんいるツイッタラーや、インスタグラマーに、なれるのです。
憧れの存在と肩を並べることが出来るのです。
noteでもブログでも、誰にだって対等に意見が話せちゃって批判だって出来ちゃうのがSNSだと感じています。
憧れの存在がぐっと身近に感じること、それが自分のモチベーションになること、
もちろん良いことだと思います。
ただ、
憧れは、もう少し手を伸ばしたその先
がちょうど良いんじゃないかな、
と私は思ってしまうのです。
一生追いつかないくらいの存在を、自分の憧れにしておきたいのです。
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