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The Songbardsとの2023年 (しがない振り返り)

※写真は公式から拝借しています
この呟きの画像から、自分が行けなかったライブを消したものです
指摘がありましたら削除します


The Songbardsとの2023年 (しがない振り返り)
2023年が明け、2024年を迎えました
ただ生きているだけで時間が流れ、歳を重ねます

ここでは、簡単にThe Songbardsとの関係を振り返ろうと思います



公式Xから、2023年のライブ一覧が発表されました


初めて見たとき思ったこと
「こんなに有ったっけ?」

行けたライブをチェックしようとしたら……行った方が多い?
ということで、行けなかったライブを消してみたら……

……うん……(笑)

行けなかったライブが5回だけ
「行かなかった」ではなく、
「行けなかった」なところが自分でも笑えます

……自分でも行きすぎと思う




そして、公式でまとめてくださった画像から漏れているライブ等にも、いくつかお邪魔しました

9月27日渋谷La.ma.ma
(上野さんと松原さんの弾き語り)

あと、多分公式ではノーカウントの
2月24日下北沢CLUB Que
(岩田さんサポート出演)

9月6日、9日新宿「ただ夏の日」上映
(上野さん登壇)

そして、公式のまとめでは小さく書いてありますが、
7月23日は、昼と夜の2公演
昼に神戸VARIT.
夜に大阪のサーキット
両方行ったファンが多くて、親戚一同の大移動日でした

自分でも引く(笑)
他人様から見たら、きっと気持ち悪い(笑)
上野さん始めメンバーさん、怖いだろうな……

それほどThe Songbardsのライブに惹かれ行くのは、The Songbardsが自分にとってただの遊びじゃないから
むしろ、学びの場だと思っています

The Songbardsというバンド
そのメンバーさん
その音楽、考え方、生き方、自分との間で起きること……それらを通し、自分にとって大切な気づきをいただいています

いわゆる学問ではなく、人間として大切なものを教えていただく場

昨年も、多くのことを教えていただきました
それについて、ごく簡単にまとめようと思います

2022年に2ndフルアルバム「Grow Old With Us」をリリースし、9月から11月にかけてそのリリースツアーが有りました
このリリースツアーでも基本的に柴田さんの近くに行き、嬉しさに心を弾ませていました

12月にもそこそこライブがありました

2023年の1月から2月中旬頃までは、ライブが少ない感じで、リリースツアーが終わってメンバー皆さんはインプットの時期に入ったのかな?と思っていました

2月下旬からが、大きな変化の連続になりました

1 2月下旬、柴田さん脱退のお知らせ

2 3月アコースティックツアー「春の香りに包まれて」

3 5月柴田さんお別れツアー

4 6月新体制でスタート
  事務所・レーベルとの契約を解除し独立

5 8月上野さん生音のライブ2回

6 11月上野さん弾き語りワンマンツアー「Prove Yourself」

7 12月松原さんに息子さんご誕生のお知らせ
  岩田さんとの出来事からメッセージを受け取る
  大忘年会


1 2月下旬柴田さん脱退のお知らせ


2月23日、柴田さんが脱退なさるというお知らせが公式からあった

たった2日前にライブでベースを弾く姿を観たばかり
とにかく驚いて、信じられなくて、思考が止まったような気がする

翌日24日、仕事を何とか済ませた
とても格好良いバンドのチケットを取っていたが、とても行くどころではなかった

24日は、下北沢CLUB Queで岩田さんのサポート出演があった
チケットは、既にソールド

でも、このタイミングでメンバーさんにお会いできる可能性が有るなら、お会いした方が良いと思った
当日券のある可能性に掛け、現地に行ったら、当日券ありとのこと

客席の後ろから岩田さんがカホンを叩く姿を拝見した

年上のアーティストさんとにこやかにお話される様子
演奏中に共演者のお二人を見つめる神経な眼差し
来て良かったと思った

その週末は寝込んだ
泣くことさえできなかった
格好良いバンドのライブは2日続けて行けなかった


2 3月アコースティックツアー「春の香りに包まれて」


柴田さんの脱退のお知らせから10日後、アコースティックツアーが始まった

椅子に座り、ベースを弾く柴田さんの姿を目に焼き付けたかった
柴田さんの脱退を知ってから、行けないと諦めていた会場もチケットを取り、8回の全公演に行った

どの公演でも、柴田さんしか観ていなかった
やっとほかのメンバーさんに目が行くようになったのは、千秋楽の福岡公演

複数の会場で最前列に行けたし、柴田さんがよく観える席に座れた会場も多かった
でも、いくら観つめても足りなかった
観つめても涙に滲んで柴田さんが観えないときも多かった

公演が進む度、柴田さんに会える機会が減るから悲しかった
明日に目が覚めたら、また今日なら良い、今日がずっと繰り返されるならどれほど良いかと思っていた
どの公演も苦しくて、悲しくて、泣いてばかりだった

アコースティックツアーの後には、お別れツアーまでに3回しかライブがなかった
どの公演も柴田さんときちんとお別れするためのライブと思っていた

アコースティックツアーからこの間、繰り返しライブで柴田さんの姿を観ては、心に湧く気持ちを感じるようにしていた
すると、柴田さんが大切なことを教えてくださってることに気がついた

私は柴田さんが大好き
柴田さんは、家族のように近すぎる存在ではない
だからこそ純粋に好きな気持ちだけを持てた

そんな柴田さんだけができること
純粋に好きな相手とお別れする悲しみ、苦しみ、辛さ
それを私に教えること
これは、柴田さんにしかできないこと

スピリチュアルなお話になるけど
柴田さんとは生まれる前にこれを教わると約束してきたのだ、と思った
大好きになること
大好きな柴田さんとのお別れを通して、この感情を学ぶこと

柴田さんは約束を守ってくださっている
だから、私もしっかり守ろう
学ばせていただこう

そう分かって、初めて柴田さんとのお別れを受け入れ始めるようになった
そして、別の道に進む柴田さんを祝福したい、と強く思えるようになった

お別れの悲しみや苦しさは、柴田さんを大好きな私が引き受けよう
大好きだからこそ感じられる痛みなら、喜んで引き受けよう
これは、誰にも渡したくない痛み

そして柴田さんには、ただ祝福の気持ちを贈ろう
ご自身で選んだ道に進もうとなさる柴田さんを、大好きな気持ちの分、祝福しよう
そう思うようになった

また、柴田さん以外のメンバーさんの胸中を思うと、胸が痛んだ
きっと皆さん、葛藤なさったことだろう
受け入れるまで、そして受け入れた後も、客席の無責任な自分とは違い、さぞ悩まれたことだろう

そう思うと、お別れの辛さをしっかり味わうと同時に、客席への心配は少しでもさせたくないと思った


3 5月柴田さんお別れツアー



柴田さんとのお別れのときが来た
とても幸運なことに、東京も大阪も柴田さんがよく観える場所に行けた

「しっかりお別れしなさい」
神さまがそうおっしゃってると思った

このツアーの最終日、大阪公演については、今も言葉にできない
東京公演についてはまとめたが、感情や考えたこと感じたことなどは、やはり言葉にできなかった
ツアー名も、未だに口にできないし、書けない

柴田さんは自分にとって、とても大きな存在
わかっていること
どれだけライブに行ってお会いしても、全然、お別れの悲しみや苦しみは減らない
それでもお会いできただけ恵まれていた

ここまでがソングバーズ第一章
6月からはソングバーズ第二章
心はそんなに簡単に切り替えられなかった


4 6月新体制でスタート

  事務所・レーベルとの契約を解除し独立



6月1日、目まぐるしくお知らせが入った

新しいアー写が発表された
メンバーさんのアイコンも一斉に変わった
公式サイトから柴田さんが消えた

その6月1日、ライブが入っていた
アメノイロ。さんのゲスト
もう一組のゲストはアイビーカラーさん
悛輔さんが初めてサポートに入ってくださったライブ

The Songbardsの入場曲も変わっていた
柴田さんの痕跡がどんどん消えていくことに愕然とした

悛輔さんのベースは聴き取れず、私の耳にはベースのないライブだった

柴田さんがいないステージ
そこから感じるものたち
柴田さんとのお別れは、全然、終わっていなかった

この後しばらくの間は、柴田さんが居ないことを確認するライブとなった
落ち着いたと思っても、ふとしたタイミング、ベースの音に柴田さんを想い、悲しみが湧き上がった

心の半分がむしりとられるような痛みを感じながら、これほど好きな人と出逢えた幸せを思った

柴田さんが抜けても、The Songbardsの近くに居ようと思った
柴田さんがいた場所
柴田さんが守ろうとしていたバンド
柴田さんにとって大切なものだから、大切にしたかった

いつか、もしかしたら、柴田さんが戻って来るかもしれない
大阪公演の最後、柴田さんの言葉
「じゃあ、またね」
その一言で、戻る場所を守るには充分すぎる

6月23日には、The Songbards独立のお知らせがあった
事務所・レーベルとの契約を解除し、全て自分たちでやって行くというもの

マイナス思考が得意な身としては、最初に不安を感じた
メンバー皆さん、無理がかかるのではないか?
お身体は大丈夫なのか?
プロモーションは?

そんなことはメンバー皆さんでお話なさってると、自分に言い聞かせた
そして、新しい選択を決めたメンバー皆さんを祝福したい、と思った

自分とThe Songbardsとの関係はどう変わる?と自問した
答えは既に出ていた
「何も変わらない」

The Songbardsが曲を出すなら聴く
ライブに行く
グッズを買って使う

何より未来に向かって力強く進もうとしているメンバー皆さんが、眩しかった
このメンバー皆さんが描く未来を、ぜひ観たいと思った

そして、バンド活動が大きく変わるメンバーさんに
「客席のことは心配しないで」
と伝えたかった


5 8月上野さん生音のライブ2回



柴田さんの居ないライブを何回か重ねた夏、上野さんが機械に全く頼らないライブを2回、行われた

マイクもエフェクターもない
上野さんのありのままの歌声と、ありのままの楽器の音

声が届く範囲しか入れないから、必然的に小さな会場
上野さんが近い

この2回で、上野さんの本当の力を感じた
機械に通さない歌声のもつ力
機械を通すことで失われてしまう力

その歌声を聴いて、上野さんも繰り返し歌という形でメッセージを届けてくださってることを思い出した

ずっとずっと、上野さんは歌ってくださっていた
自分が柴田さんしか観ていなかったときも、悲しみに振り回されていたときも、ずっと上野さんは歌い続けてくださってた

弾き語りというベースがないステージ
このときになってやっと、久しぶりに上野さんの歌に意識を向けられた

鈍い心なりに上野さんの歌からもメッセージを感じ取ろう、と思った

8月には小山田壮平さんをゲストにお迎えしてミックステープが開催された
このライブは奇跡のライブだった

幸せがステージから客席まで、全ての人を包み、満たし、溢れていた
ステージから伝わる幸せだけでなく、メンバーさんと幸せを共有できる幸せも感じていた

8月にはファンクラブ「BARDS HOUSE」が創設されたり、ポッドキャスト「グバキャス」が始まったり、様々なチャレンジが形を成してきた

ファンとしても嬉しい忙しさだった
心のどこかに無理しないでほしいという不安を抱えながらだったけれど

7、8、9月は、ライブがものすごいペースで入っていた
独立し、誘われて理由が無ければ受ける、というスタンスでいたら、こうなったらしい

それに必死について行く日々は、個人的にも驚きの連続だった
前日にお腹を壊しても、当日朝には回復してる
夕方に絶対外せない会議が入っていた日に台風が来て帰宅を促され、神戸のライブに行けたこともあった
インフルエンザに罹ると、他者との接触を制限される期間があるが、それが丁度ライブのない期間だったときには、あまりのタイミングの良さに恐ろしささえ感じた

「神さまのGOサインが出た」
何回もそう思った
「The Songbardsのライブに、どんどん行きなさい」
「今のあなたは、ライブに行く方が良い人生に繋がります」
そう言われているように感じた

10月はライブが減り、月末の高松、神戸ライブは行けなかった
そのため、自分が行けるバンドのライブは、10月19日のパノパナさんとの共同企画の後は、年末の大忘年会だけになった

寂しさと不安を感じる自分に
「未来への準備期間」
と言い聞かせた


6 11月上野さん弾き語りワンマンツアー「Prove Yourself」


バンドのライブに代わり、上野さんお一人でツアーを組まれた
全7会場、全国を回られた

できるだけ行こうと思っても主に平日、休みを取るにも限度がある
残念ながら、福岡公演だけは見送ることにした

いろいろな会場でちょっとずつ違うセトリのライブを聴く
会場毎に雰囲気が全く違う
それぞれの会場で花を受けとり、ツアー全体で花束を作るようなイメージだった

特にそのときの自分の心にフィットしたのは、軽井沢公演と札幌公演だった

静かな会場を、上野さんの歌声が満たす
軽井沢ではチェロの豊かな音色も加わる
ただその歌声と音色に浸り、心に生まれる波紋を味わった

上野さんが何か投げかけると、さざ波のような笑いが広がる
上野さんのお話は草原を渡るそよ風で、客席の笑いはサラサラとそよ風に揺れる草の葉のようだった

このツアーを通し、上野さんの歌声とお話にこれからも触れたい、そこから伝えられるメッセージを受け取りたい、と思った


7 12月松原さんに息子さんご誕生のお知らせ

  岩田さんとの出来事からメッセージを受け取る


  

  大忘年会


 
12月2日、嬉しいお知らせが舞い込んできた
松原さんに元気な男の子が誕生したというお知らせ

胸の中に嬉しさが溢れ、とても幸せな気持ちになった
松原さんのお子さん、ただその存在が愛おしかった
ありったけで松原さんとそのご家族を祝福したいと思った

とても不思議だった
自分は多分、多くの方々より他者への興味が薄い方だと思う

それなのに松原さんのお子さん誕生は、こんな幸せがあるのかと思うほど嬉しかった
松原さんのお子さんが安全安心にスクスク育つことを願った
幸せに生きてほしいと思った

松原さんがお子さんと接する中で新しいドアを次々と開け、より豊かな人生を送ると思うと嬉しかった
ますます人間としての深みを増し、魅力的になって行かれると思うと、楽しみで仕方なかった

それが音楽になってもならなくても、どちらでも良いと思った
要は、松原さんが幸せな人生を歩まれるなら、それで良かった
松原さんの幸せを願えることが嬉しかった

そしてお子さんご誕生を教えてくださって、祝福する機会を用意してくださった松原さんに、たくさん感謝した

11月、岩田さんにメンションできないよう、自分が制限されていることに気がついた

最初はマイナスの感情でいっぱいになったが、いろいろな本の助けを借り、その出来事から大切なメッセージを受け取れた

この件では、岩田さんに落ち度はなかったと思う
岩田さんは、いわば郵便屋さんのような立ち位置で、ただ私へのメッセージを届けるだけだったと思う

出来事が伝えようとしたメッセージを正しく受け取れた(と自分が感じた)ときから、岩田さんへは大きな感謝を感じている
そして、申し訳ない気持ちもたくさん持っている

そのことについては、別の記事にまとめた
この出来事は、The Songbardsから離れるわけではなく、でもベッタリしすぎない
そのような距離を考えようと思える出来事だった

12月29日には、神戸VARIT.で大忘年会が開催された

最初の乾杯から笑いが絶えず、The Songbardsらしい温かな雰囲気のライブだった
親戚一同の集まりと言っても不思議ではないほど、柔らかな雰囲気だった

一部と二部に分かれていた
一部は1階のメインステージでバンド形式

二部の最初は2階の小さなステージで上野さんと松原さんのアコースティックから始まり、その後は1階のメインステージでアコースティックとバンドのライブだった

二部の最初、メインステージから遠い2階で始める優しさが、The Songbardsらしかった

まだ大新年会を控え、セトリは公式から発表されていない
曲名は伏せて書くが、内容からファンの方々は分かってしまうと思う
なので、大新年会が終わるまでセトリを知りたくない方は、これから先は読まないことをおすすめします


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大忘年会は、思わぬ形で柴田さんとのお別れを再び噛み締めることになった

一部の最後の曲は、柴田さん脱退後、バンドで聴くのは初めてだった
イントロが流れ
「ここでこういう音程でベースが入る」
と思う通りにベースが聴こえた

柴田さんと同じ音程
でも、弾いているのは柴田さんじゃない

悛輔さんが嫌なわけではない
ただベースを弾いているのが柴田さんではないことが
寂しくて
悲しくて
柴田さんに会いたくて
久しぶりにたくさん泣いた

二部のある曲は、アルバムで一番、柴田さんが気に入っていた曲だった

デモを聴いたとき、
「これのベースを俺に弾かせろ」
と思ったと、柴田さんが配信でおっしゃっていた

楽しい曲なので、楽しむ
同時に柴田さんの姿がステージに見えないことが悲しかった

柴田さんが居ないステージに慣れたつもりでいた
柴田さんに会えなくなって、半分空っぽになった心
その空っぽ部分も、たくさんのライブを重ねる中、ほかのメンバーさんが埋めてくださったと思っていた

でも、そうじゃなかった
埋まったと思っていた穴は、まだ存在していた

それが嬉しかった

柴田さんが大好きな気持ちは、暴れなくなっただけ
心の中に、ちゃんと居続けていた

会えなくなっても、柴田さんを想える
それが心の痛みという形でも、嬉しかった

柴田さんの記憶が、いろいろな曲に結びついている
ふとしたときに蘇り、柴田さんに会えない悲しさが暴れだす
どこに悲しみの種が潜んでいるか、分からない

終演後、ベースサポートの悛輔さんとお話できた
自分には悛輔さんが柴田さんのベースラインを褒めてくださっているように聞こえ、とても嬉しかった

大好きな柴田さん
大好きな柴田さんのベースライン
大好きになれて良かったと思った


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The Songbardsが自分にとって学びの場というのは、このような気づきを得ることが多いからです

バンドと個人のおつきあいのあり方は、十人十色
他の方々から見たら、ガチガチに固く感じられるかも知れません

それでも自分はこのようなおつきあいの仕方しかできないし、それで良いと思っています

昨年は特に、大きな感情の動きと出来事から受け取るメッセージを、たくさん学ぶ年でした

今年はどのような年になるのでしょうか?
楽しみな反面、ちょっと不安な気持ちです

でも、The Songbardsにお伝えしたいのは、
「今年もよろしくお願いします」
「たくさん学ばせてください」
ということ

メンバーさんに不快な思いをさせないで済む距離で、おつきあいできる強さがほしいものです


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いろいろ書きましたが、柴田さんのことがどうしても多くなりました

書き始めたのは、昨年の12月31日
柴田さんのことを書くと今でもポロポロ涙が出てきて、書き進めるのに時間がかかりました

それでも書こうと思ったのは、自分が「柴田さんの戻れる場所を応援し続ける」という意思を固めるためでした

松原さんが配信でおっしゃった
「5年後(2年後?)には、またひょっこり柴田さんが戻ってくる可能性もゼロじゃない」
という言葉

柴田さんがさよならツアーの大阪公演で最後におっしゃった
「じゃあ、またね」

上野さんがどこかのMCでおっしゃった
「いつかまた、柴ちゃんと何かやりたい」
という言葉

これらの言葉が実現しないとしても、少なくとも5年は待とうと思えます
……情が厚い方ではないので、待てる自信はありませんが

ここまで読んでくださった方は……多分、いらっしゃらないでしょう

ずっと暗い内容ばかり
壮大な自分語り
読んで面白い文章ではありません

それでももし、読んでくださった方がいらっしゃいましたら……大きな感謝をお贈りしたます
どうもありがとうございました

読んでくださった方が、今年も美しい世界を幸せに生きて行けますように


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