母は相談を嫌がっているようだ

配偶者と親子では、同じDVの現場にいても、とらえ方がこうも違うのかと痛感した出来事のひとつが先日ありました。

少し前の話。八方ふさがりになって追い込まれたと思い込んだ精神状態になった私が地域の自治体と民生委員さんに同席してもらい相談したとき、あらいざらい(数時間時間をとってもらって話したので、いちばん伝えたいこと中心だったのですが)話したところ、母を中心に解決する方向で動く方がいいかもしれない、ソーシャルワーカーさんと母と私でいったん面談の機会を設けよう、という結論になりました。

民生委員さん経由で話が進む予定だったので、私は面談の日時を伝えてもらうのを待っていました。

母には自治体と民生委員さんと私が面談をしたことを伝えていました。

その面談の日に、母は民生委員さんに別件で会いに行ったと話して、私の面談の内容を民生委員さんに聞いたのか、「お母さんが、つらいから(ソーシャルワーカーさんに)相談する、とお父さんに伝えればいいのよね、そう民生委員さんに言ってもらった」としみじみした感じで私に言いました。

私は母もこの状況を変えたいと思っているんだな、と、勝手に納得していました。

1週間たっても民生委員さんからは連絡がなく、私は「都合の合う日の調整なんかで時間がかかってるのかな」と思っていました。

10日くらいたった日、家に帰る途中に民生委員さんに声をかけられ、「お母さんが面談をするという返事をしたら、ソーシャルワーカーさんに相談する面談の予定をたてることになってるけど、どうなってる?」との言葉。

「え?…」

そんなこと、母には聞いておらず…

「母からは何も私に言ってないです」というと、母からの返事がないと、動けないとのこと。

母の解釈不足だったのか、民生委員さんと母との間で正確なやりとりがされていなかったのかわかりませんが、母の返事待ちだったとのこと。

返事待ちの間も、民生委員さんは動いていてくださったようで、ソーシャルワーカーさんに聞きに行ったところ、

母は配偶者なので、支援や援助が受けられる。

私は親子間で65歳以下で成人しているので、なにも支援がない。

なので、母がDVで困っているという建前で私も相談に参加するということなら話は進められる、とのことでした。

「なんだそりゃ!?」と、思わず言ってしまいました。

困っている本人が当事者としてDV支援が受けられないなんて、これはおかしすぎる!人権うんぬんというよりも、そもそも公のシステムが崩壊しているか、機能していないか、思考停止してるか、(「DV相談」という名前の相談所はだたの公務員の天下り先のお小遣い稼ぎの場&名札だけのからっぽの名誉職なのか、)民衆の生活が分かっていないか、人の心がないゼータレクチル星人なのか、、、冗談でも言ってないと、やってられない気持ちになってきました。

大真面目で立ち向かうと、ばかを見る世の中なんだな、と思いはしましたが、それならそれでやってやる、と、江戸時代の農民一揆の一農民の気持ちで乗り切ろうと決心しました。

ないんなら、つくってやる!

というわけで、民生委員さんには、母に聞いて返事をする、ということと、親子間で成人の子供のDVには対応しない公共の制度はおかしいので、(私の咀嚼不足の可能性もあるので、そのときはしっかりと制度を聞く)いずれなんとかつくってもらう、と、なかば勢いで言って、その場は別れました。

返ってからタイミングをみて、母に「民生委員さんにこうこうこれこれときいたんだけど、どうなの?」と聞くと、

「は~~~~~~~~~あ、あ!(重い溜息)お母さんは、忙しいんじゃけどね!よけーな手間かけさせんでよ!」(うちは山口県に住んでいるので、強い山口弁を両親は話します、、山口弁で怒鳴り散らされて育ったので、怖い言葉にしか思えず、私は標準語もどきを話しています)「年末は特に忙しいそに!(うちは両親が自営業をしているため、毎年年末はたしかに忙しい)」

しかし、ここで引き下がるわけにはいかないので、「じゃあ、いつになったら時間が取れる?1月は?」と聞くと、

「1月だったら、、まあ、いいよ」とのこと。約束は取れたので、私は一安心しました。

しかし、母はそれから不機嫌そうになり、「一生懸命やっとるのに!」と怒りのことばを言い始め、わたしは自分の身に不安を覚えました。

母主体に話が進むということは、母が昔のことをあらいざらい第三者の前で公言し、記録に残り、大勢の人の認識の下で現実が動いていく、ということになると思います。

プライドの高い母は、そのストレスを、おそらくすべて私に向けてくるだろう、と勘が働きました。私が動かなければ、母がこういう恥をかくこともなかったと逆恨みする可能性は十分にある…考えすぎかもしれませんが…

しかし、そうであれば、父を家族から守ろうと思い行動した私の動機とはズレが生じて、母主体に支援を受ける流れに1度なると、今度は一生母からのストレスを私は浴びせられることになってしまう、と想像が浮かんできました。

母は、そういうことをこれまでも私にしてきたことがあるので、十分に可能性があることです。

なんとなく、その日は民生委員さんに母の了承がとれたことは返事をせず、少しおいてみることにしました。

次の日。

私はここ数か月、父とは食卓を一緒にしてはいません。すぐに恫喝してくるからです。来たら、すぐに逃げるようにしていて、相談したひとたちも、そうした方がいい、といってくれている状況です。

母も、それを知っていて、父が食卓にこないうちにみんなで食事を済ませるようにしています。

しかし、その日は、それまで姿を現さない夕食の時間に父が来ました。すると、母は、父を食卓に着くよう、うながすようなやさしい雰囲気で父に語りかけはじめました。

私はびっくりして、動揺しました。母には私が父がどれだけ怖いかあらいざらい言っているので、私の目の前の席に着く父が私にどれだけのストレスを与えるか知っているはずです。

私はすぐに席を離れて逃げました。

いつもなら、その様子を見て暴れ始める父ですが、その日はなぜか暴れなかったようです。

次の日にわかったのですが、その日、父は知り合いから大きな松茸とイノシシの肉をもらってきたようで、それで母は「ごちそうを運んできた父」を機嫌よく食卓につかせたようです、、、その食材は、次の日に食卓に並びました、、、

「私より、食べ物のほうが大事なのね…。」悟りました。

そして、それは母にストレスを与えた私への曲がった嫌がらせというストレス返しだったのかもしれません。こんなこと、やってらんない。

民生委員さんに電話しました。「そうなのかもね」との返事。

そして、私は「母主体に話を進めると、今度は母が私に一生嫌がらせをしてくるという想定もしてなかった悩みが増えるだけになりそうなので、やっぱり私が悩んでいるということを市に掛け合って、間口をつくってもらう方がいいかもしれないので、まず、私が一人で話をしに行ってみる」と伝えました。

民生委員さんには、困った時に助けてもらえるようお願いして、快く了解してもらえました。一人でも頼れる人がいる、と思えるのは、心強いです。頼れる人がいるという環境はありがたいし、自分でつくることも必要なんだと思いました。

母と私とでは、父からのDVに対するとらえ方や感じ方が大きくちがうのかもしれないです。「結婚した相手」と「血縁関係者」の感覚の違いは、溝が大きいのかもしれないです。

変えられるのは自分だけ、人は変えられない、という言葉がしみます。

とりあえず、間口のないところにどう掛け合うと一番時間と労力が無駄にならないかを考えて、話を持っていこうと思っています。人を巻き込むからには、効率よく。貴重な時間も取ってもらうのも忘れずに。全員が疲弊しないのが、一番脱線せずうまく運びそうなので。

半分、バランス感覚、バランス芸ですね(苦笑)

DV家庭で両親とも毒親気質、祖母も超他人依存の被害妄想の持ち主なので、濃すぎるものをどう紐解いていくか、、、

とりあえず、第三者に家に介入してもらうにはどうすればいいかという自分の頭の中作戦で進めていきます。



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