起きたら消したい、を目指して

深夜のテンションで書いてみます。まとめると、32歳、表現の練習にnote始めるってよ、です。

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私は、いつも表現者に憧れている。その思いと、本気で向き合ったことがない。

幼児から中学生まで、絵画教室に通っていた。
美術は好きだけど、自分の絵はあまり好きではなかった。
面白味がないな、真面目だなと感じていた。味みたいなものが感じられなかった。

抽象画や自由テーマのときは、描くことすら難しい。
考えあぐねてしまい、画用紙を埋めるかのように、ひたすらイチョウの葉っぱを描き連ねたときには、諦めたような気持ちになり、『ああ、自分って空っぽだな。表現したいことがないんだな。』と感じたことを覚えている。

中学では、一部の生徒の間で、HP作成が流行していた。私も、webサイトとしての体裁を保つ程度に、日記や、短い詩や小説、イラストなどを載せていた。恋愛について、自分の内面について、好きな作品について、書き綴るのは楽しかった。

表現を創作活動とするなら、このときが、一番それらしいことをしていたかもしれない。けれど、相変わらず、伝えたい何かがあるわけではなかった。実際、作品然した文章やイラストよりも、サイトのデザインを工夫したり、バナーを作る作業の方が、自分らしさが出ている気がしていた。

同調圧力と閉塞感で息苦しい中学生活において、インターネットは楽しい遊び場だった。オンラインで、趣味の合う新しい友人もできた。互いの表現に共感したりコメントしたり。同じであることを強要する人は誰もいない。気を張らず、自分を出せる場所だったけれど、そう長くは続かなかった。

ある日、どこをどう見つけたのか、クラスの男子にHPの存在を聞かれたことがあった。とっさにしらばっくれたものの、確実にバレてるやん!恥ず!と、慌てて閉鎖した。閉鎖を知らせるトップページには、偽装工作として、仕事が忙しくてどうのこうのと、他人を装う文章を書き連ねた。そのバレバレの小細工を含めて、あの男子にあれを見られたのかと思うと、今でも足をバタバタするぐらいは恥ずかしい。

当時、web上では、それなりに恥部を表現できていたのかも知れない。しかし、そのときの苦い記憶と、その後の高校生活が楽しかったことから、表現する場としてのwebからは距離を置いた。

大学では、演劇か音楽のサークルに入りたかった。けれど、運動部の経験しかなかったし、運動部の友達が好きだったので、誘われるがままにフットサルとバスケのサークルに入った。実際に友達との時間もスポーツも楽しかった。結果的には、彼氏の束縛に従い、どちらも辞めてしまうのだけれど。

初心者でも、仲間と一緒に、表現の世界にどっぷり浸かれるチャンスだったと思うと、もっと自分の気持ちに向き合って、演劇か音楽をやればよかったと思う。

大人になった今は、生活に没頭している。表現に対して、思春期のような切実な思いはない。日々エネルギーを使う場所があるし、個性とは隠そうとしても滲み出ることも知った。

・線画を下書きして清書するとき、何本かの線から一本を選び取る作業は好き。
・小さなカードのデザイン。素材の配置やバランスを決めるのは楽しい。
・自分も相手も感情が揺さぶられるような対話。語りながら、熱くなって涙が滲んでしまうようなのが最高。
・イベント企画。結婚式は、自分の作品という意識で作ったので、とても楽しかった。
・性行為。性欲解消もあるけど、飾らない自分の発露という意味が大きい気がする。

うんうん、自分なりに表現してきたぞ。だけど、今日死ぬなら、多分後悔するよね。それぐらいは未練がある。

知らんけど、知らんけど、表現の魅力はもっと奥深いところにある。

私は、これが私!見て!感じて!と言えるまで、一本の線を真剣に選んだことはない。
自分の奥底に潜り込んで、見たくないところまで引きずり出して表現することもない。

怖いけど、死ぬまでには、やってみたいよ。

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最近感銘を受けた、NijiプロジェクトプロデューサーJ.Y.Park氏の言葉を引用する。

必死さのあまり自分を見失い、評価されるためだけに踊る少女に、彼はこう語る。

『僕たちは、みんな一人ひとりの顔が違うように、一人ひとりの心、精神も違います。目に見えない精神、心を見えるようにするのが芸術。自分の精神、心、個性が見えなかったら、そのパフォーマンスは、芸術的な価値がないです』
『自分自身へのプライドがあって、初めてそれを表現できるのに、自分自身へのプライドがなさすぎるから』

気づいたことは、

私のいう『表現したいことがない』は、自分の存在へのプライドがなく、『表現して発信するだけの価値がない』と諦めているということ。

そして、それを理由に、人目に晒す覚悟と経験をせず、精度を上げるための努力も怠っているということだ。

『コンセプトは…必要ないです。僕たちはみんな元々、特別だからです。ただ自分らしくありのままでいてください。』

僕たちはみんな元々、特別。ただ自分らしくありのままでいればいい。

この言葉をお守りにして。
尊敬する表現者の方々のように、ありのままの自分を自分で認められるまで。

この場を使って、時々、自己表現をしてみます。語りたいことはあるのよ。

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