2018年頭くらいから「ものに囲まれる」にシフト。

 きゅうに、ものとして「存在」している(さわれる)ことに愛おしさが沸き、モノの存在=愛の結晶 という構図に気づきました。ものというのは、小さく見ていくと、何兆個もの細胞たちからできていて、それらが一瞬も手を抜くことなく最大限の働きをして存在し得ている。わたしはこの状態に、祝福と全肯定の愛を感じた。情報としてだけ存在するよりも、「形」を得ることは、非常にパワフルなことではないだろうか?

 いま、「モノ」が「情報化」していく社会の流れの中で、いずれ人間も、ミニマリストどころか、身体を手放す時が来る。その過程において、なんてことのない使い捨てられた100均の商品が、人間が作り出したというだけで、「形」を有する、ということに対してものすごい価値がついて、美術品みたいにコレクションされるかもしれない。
 そのときの気持ちを、今、身の回りのものに見ているのだ。
 「わーい、ある! それだけでうれしい、かわいい」みたいな。
さいごの時をお祭りのような気持ちでモノと戯れている。
いまのうちにモノを楽しみましょう。

★断捨離、とは、お金に翻弄され、豊かさを買い物に求める人たちがする、愚かさに愚かさを上塗りするような最低な行為に見える。

★ミニマリストは、本来貴族の享楽を突き詰めたものだが、貧困層を虚しさから一瞬救う言葉でもあるよね。

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