【平日随筆】恋人をとばして夫婦になって
文筆業の妻、役者業の夫。子ども5歳と1歳の2人。私たちは東京在住の4人家族だ。何もなかったかのように、こうして並んで眠っているけれど、はじまりはとても歪だった。いや、今だってどこか歪だ。稽古期間だから今月夫の収入ないし、妻、心が弱ってお酒飲むと時々知らない人について行っちゃいたくなるし。ケンカするたび、子どもになだめられている。人間自体そもそもがこんな感じで未完成なのに、それが何人か集まるんだからまあまあ色んなことが起こる。
それなりにズレたり、ブレたり、余所見したり、肝心なときほど目をつぶってしまったりしながら1枚におさまっている写真のように、私たちは家族をやっている。いつしか、それらがいくつものアルバムになって、"我が家の歴史"になっていくのだろうか。最初のページをめくって、娘や息子が言うかもしれない。
「うちの親、恋人じゃなかったんだって」
そうなった日のために、何となく残そうと思った、恋人を飛ばして家族になった私たちのこと。
私と夫は5月に出会った。そしてその3年後の6月に子どもを授かった。
出会った日が基準なのは、私たちにはきちんと付き合った時間がないからだ。きちんと離れた時間もなかったけれど。
当時お手伝いしていた劇団に出ていた。彼のお芝居はすごく面白くて、ギターも作り話も上手だった。ある日の稽古帰りに、彼は「トニー・トーロ」という架空のスーパースターの一生を熱心にわたしに話し、そのスーパースターの生涯の恋人の名前を考えて、と言ってきた。
わたしは「カルラ」と名付けて、2人の物語を詩にした。13歳からかいている詩を男の人に見せたのは初めてだった。
何人かいる意味がありそうな女の子の中でとりあえず今は1番お気に入りなのかな、と理解できるくらいは私に時間を割いていたと思う。でも、恋人は別にいた。後々何度か鉢合わせもした。茶碗も投げられた。だけどわたしはやめなかったし、彼もわたしをやめなかった。
芸術的だけれど、お金がなくて女にだらしなくて嘘ばかりつく、絵に描いたようなダメな男と、それをわかっていながら本業の足しにするはずのお尻がギリギリ見えてるバニーガールのバイト代で水道代を肩代わりするダメな女の破綻した恋愛だった。だけど、出会った時から本当のことが1つだけあった。
「この人と家族になりたい」
確かにそう思っていたことだ。
出会ってはじめての誕生日だった。小ちゃいけど、台所から空が見えるところと、神明宮の鐘の音が聞こえるところがお気に入りだったアパートで、ホットケーキミックスで作ったショートケーキを2人で食べた。チョコレートケーキの方が好きだって知ったのはそのずっと後だ。
壁にはギターがいくつもならんであって、その1つを大切そうに手にとって、「お返しに」と、友部正人の『一本道』を弾いた。ブラジャーとコンタクトケースとaikoのアルバムと映画のチケット2枚組が見つかる6畳間で。“何もなかった事にしましょうと今日も日が暮れました”と彼は歌った。
この家に来た女の子たちとの残骸を捨てきれない彼を、それは誰にも優しくないよ、といつか叱ってやりたいと思った。母を亡くしてからギターを弾き始めた彼を、お母さんにはなれないけど、いつか家族になって抱きしめたいと思った。お母さんが産んで、たくさんの人が触れたそのからだのなかから、誰も触れたことのない場所を見つけ出したいと本気で思っていた。
うまくいえないけど、全細胞がそう思っていたあの頃、あの阿佐ヶ谷北のアパートがわたしの世界だった。寝室、なんて区切るまでもない6畳間の隅の万年床や、2人入るにはだいぶ無理がある狭い狭いユニットバスで起きる、取るに足らないことがいちいち眩しく儚くて、たくさん詩を書いた。
泣きながら笑って、笑いながらまた涙が出るようなこころが忙しい日々で、泣きも笑いもできないことは、本気にならない行きずりの恋の真似事みたいなもので紛らわした。それでも忘れる努力をすれば、他に好きになれそうな人もいたといえばいた。だけど、次に進もうとすると決まって彼が家にきた。雨の日もあった。
見方によったら完全にホラーサスペンスだけど、わたしにとってはいつだって全力のラブロマンスだった。
ああもうどうにもならない。
そう思った時からは酒の席の肴にして乗り切った。 とくに修羅場の話は打率が高く、みんながすごく笑ってくれたから、傷ついていた分なんだか少し救われた気持ちになった。のもつかの間、そのあとはまた、決まってたまらなく会いたくなって、阿佐ヶ谷に自転車を走らせた。
打って変って、そんな後日談は誰にも話さなかった。
文字通り、部屋に入るなりわたしは彼を吸い込んで取り込んで、またふりだしの、だらしのない朝だ。そうこうしてる間に、妊娠した。25歳の初夏だった。嬉しかった。
怪訝な声はたくさん聞こえたけれど、とりあえず両家と杉並区には私たちは夫婦だと認められた。杉並区でも嬉しかった。
それからまもない翌3月11日、里帰り先で陣痛が来た。その年最後の雪が降っていた。陣痛は最初の診立てよりだいぶ長引いた。
雪はいつの間にか止んで、分娩室で東日本大震災の黙祷のアナウンスを聞いた。失われたいのちへの祈りと生まれくるいのちへの切望。名前のつけられない想いを抱いて、いつまでも涙が止まらなかった。
夫は東京から新幹線に飛び乗り、子宮口が全開になる寸前にギターをひっさげたまま分娩室にすべりこんだ。
会えると思っていた日に会えなかったり、会えないだろうなという日にはやっぱり会えなくて、会えたと思っても突然去ってしまう、いつもわたしを待たせて置いてくばかりの彼が初めて約束を果たした瞬間だった。
ありがとう、と言われたその時、絶頂の痛みの中、ああ春と一緒に家族が来たんだ、と思った。娘は、美しくて、いとおしくて、尊かった。はじめて、2人に射した光だった。そして、嘘じゃなくて本当に、それは雪解けと同時だった。“何もなかったことにしましょう”とは言えないけれど、この光で雪と一緒に溶かせるものは溶かしてしまえ、と思った。
生まれた娘の名前は、友部正人の詩からとった。
「起きて待ってる」
「夜目が覚めたら帰ってて嬉しかった」
もうじき小学生になるパパっ子の娘が、時々あの頃の自分みたいなことを口にするから、ドキッとする。ロマンスのデジャヴだ。
出産を機に駅から遠い代わりに安い3LDKの貸家に引っ越して、私たちはそれぞれ、3つ敷いた布団の端っこで子どもたちを挟んで眠るようになった。家事と育児の分担をポイント制にして競い、子どもたちの送迎を早番と遅番と呼び、先に寝たり寝られたりするようになった今、待ち合わせもタイムリミットもない日々にロマンスはなかなか落ちてはいない。だけど、一緒に生きている、生きていく感じは強くなった。
たとえば、長い原稿を書き終えて娘の寝息に滑り込んだ朝方、その向こうからふと、大きないびきが重なった時や、1歳の息子の夜泣きに気づいて立ち上がると、同時に身を起こしていた夫とぴたり目が合ったその時とかに。
夫は男としては本当にダメなやつだけど、父親としては想定外に素敵だった。そんなの、母にならなきゃ知れなかった。そんな顔、妻にならなきゃ見れなかったよ。
ありがとう、これがかの有名な家族ってやつなら、きみは、未完成で無限大だ。色々あったし、色々あるけど、いいじゃないか、家族で。
娘がブレて、息子がそっぽむき、夫が見切れて、わたしが目をつぶっている写真が実は結構気に入っていたりする。
出会った5月から9年先にこうなるなんて、まるで思えなかったような気もするし、一度見た夢のように、わたしすらしらない心のどこかで予感していた気もする。
「家族になったら」そういえばそんなタイトルの詩もかいたなあと、阿佐ヶ谷のアパートで抱えた待望と焦燥を思い出しながら、久しぶりに詩集をめくった。
最後の一節ははこうだった。
*
僕が早めに着いて君が少し遅れたから会えたんだ、ってあの人いつか言ったから、少し遅れて向かいます
時は五月、新緑の海
恋に落ちれど、春は終わり
鯉はのぼれど、ひこうき雲
*
—何かが違えば全部が変わるこの世界で、私たちは家族になった。
あなたが初めて遅刻をしなかった日に。
だから、詩集を閉じて、出会った日だからケーキを焼いて、今日はわたしが「起きて待ってる」あなたの帰り。わたしたちが生きてる家で、チョコレートが溶けないように見張りながら。
©︎『恋人をとばして夫婦になって』/丘田ミイ子
初出:「She is」2019年5・6月特集「ぞくぞく家族」VOICEへ寄稿
「恋人」を飛ばして「夫婦」になって 歪だった私たちが家族になるまで
*+*+What is 【平日随筆】*+*+
「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。
*+*+Who is 丘田ミイ子*+*+
丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。
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