【平日随筆】乙女たちの祈り
娘のことがだいすきだけど、その「だいすき」には、"我が子だから"じゃない何かも確かにまざっていて、私はそのことがうれしい。
それは例えば、旅することを世界にまだあまり許されていなかった頃、大切な用事があって、諦観ではなく達観の気持ちで仕事や学校を休んだとき。
二人きりで北へ北へと旅をした日、二人きりでも旅一座みたいな朝のとき。
いくつになっても心が小さく震えてしまう飛行場でお守りのようにふとその手を差し出してくれるとき。
ビジネスホテルのセミダブルベッドの上、落ちていく日を灯りに「乙女の祈り」を踊るとき。歌の名を知らぬまま口ずさみ舞うそれが、紛れもない"乙女"の"祈り"である切実や、そのあと惜しげもなく日々の中へと戻ってきて「このまちの水はコンビニのよりおいしいね」と笑いだすとき。
何からも逃げてないけれど逃避行のような午後、人気の少ない科学館であなたが織姫をわたしが彦星をつくったとき。市場でそれぞれ一人前のお刺身と焼き魚の定食をおいしい、おいしい、と食べたとき。目まぐるしく過ぎた数年がまさに遠心力となって、気がつけばこんなところまで来てしまったような見知らぬ港を、まだまだ見知らぬ場所へとあてもなく歩くとき。
あるいは、公園や道端で花に触れるとき、湯船や布団の中で急に涙を流すときに指先や睫毛から一緒にこぼれる優しさとか、季節や盛りや、文脈から少しはぐれたものを抱き寄せる時の迷いのなさとか。
他にはそうだな、どんな場所にも特等席を見つけ出す自由さ。
眩しい光に目を細めたついでに笑ってしまえる潔い適当さ。
あとは、自由研究で髪まで染めてしまう好奇心とか思い切りとか、ほかにもいろいろ、私には真似できない、そんな人な気も時々してる。
そんなふうにあなたを見つめるわたしにも、一つでいいから、"親だから"じゃない何かがあるといいなと思う。
特別でも、絶対でもない、さりげない何かが一つでも。
9歳と35歳がそんなふうに暮らせたら、無敵かもしれないって最近よく思ってる。
日付を越えて、誕生日を迎えた日。
部屋の飾り付けを終えてするりと寝息に滑り込んで、あみ目からこぼれおちる出来事を呼び戻すようにカメラロールを彷徨って、ちいちゃい窓の向こうに映るちいちゃいちいちゃい姿を人差し指一つで少しずつ大きくさせていく。赤ちゃんから子ども、子どもから少女へ。真夜中のお布団は、タイム風呂敷みたいだ。
その中でいくつものロケットペンダントをのぞく私に、「全部がここにひとつに入っているよ」と教えるように、今を生きるあなたが大きく寝返りをうつ。今日も在りし日になるのだから、とあわてて私はその足の指を撫でる。寝返りのついでに寝言を言って、そのまたついでに飛行場にいるときみたいに握る手は、昨日よりまたひとつ大きいみたいだ。あなたに、最初の「おめでとう」を小さく言って眠りについた私はそのまま妊娠中の夢を見た。お腹にいるのに隣にいるような、あの時の望外のよろこびと、何にも似ていないざわめきが立体となった、万華鏡の中にデジャヴが映し出されたような夢。不思議だった。
誰より早く起きたあなたがリビングで喜ぶ声がして覚める。
「よくきてくれたね、夜はパーティーだよ」と抱きしめて送り出す。
「きょう、わたし日直だから行かなきゃ」と振り返らぬまま階段を駆け降り、ちいさな社会へと向かう背中が頼もしくて、嬉しくて、少しさみしかった。
黙祷のすぐ後、下校してきたあなたをもう一度、抱きしめる。
14:46、分娩室で黙祷の放送を聞いた。失われたいのちへの祈りと、生まれくるいのちへの切望。 名前のつけられない痛みと想いを抱いて、いつまでも涙が止まらなかった。祈りながら、あなたを待っていた。多分、ずっと待っていたし、待っていてくれたんだと思う。世界が忘れられない日で、私が忘れられない日。いのちの輝きと生きることの尊さをあなたに教わり続ける日。
「ママの前にどんぐり置く、ママがここにいたよ、いるよってしるしに」
「あやとりで結ぼう、忘れないように」
かなわない。
母娘で始めた交換ノート、「口に出して言えない事かいてね」といったら「口に出して言える事もいい?口でも言ったけど書きたいこと」と言われた。
かなわないね。
ずっとそうやってやってきたんだ、私たち。一つの体を分け合っていた頃からずっと。これからも遠ざかるようで、近づいて生きていこう。
分け合って、抱き合って、それから時々秘密ももって。
隣り合うよりも向かい合って座ることが、手を繋ぐよりも前を歩くことが増えた。
迎えに行くよりも送り出すことが、待っていることが増えた。
じゃんけんとオセロは私より強くって、絵も私よりずっと達者。
文字では負けたくないところだけど、とらわれない羽根のついた言葉たちにはやっぱりどうしたってかなわない。
にらめっことダウトは滅法弱いんだけど、それはそれでいい。我慢するよりもたくさん笑って、嘘をつかれても人の目を欺くことなく生きてって。
わたしの色であなたを支配したくないよ。
わたしの好きなものや嫌いなものをあなたの選択に押し付けたくないよ。
影響とか与えたくないな、とも思うけれど、意図せずとも受けてしまうものは少なからずあって。それでも、与えるよりは受けていたい。対等にはいかないからこそ対等であれたら、と、誓う様に思っている。
アンパンマン、プリンセス、すみっコぐらし、スパイファミリー。
人と同じものが欲しい時間も人と違うものが欲しい時間もどちらも等しく選択で、どちらが高尚だなんてことはない。これからも自分で選んで自分で飽きたらきっといいね。誰でもない自分の本心で選択する楽しみと果てしなさが、多分あなたを、わたしをつくってる。つくってく。
あなたが選ぶものをダサいだとか、ベタだとかとやかく言う人にも悲しいかなきっとこれから出会ってしまうけど、特定の人間の狭い視野など気にとめずに、広い世界へと走り去ればいい。多分あなたの好きな人たちはみんなそこにいる。
だからやっぱり私たちは旅一座、テントものぼりも持ってないけど立派で唯一の旅一座だ。不要でも不急でもないけれど、密やかでさり気なくていい、どこまでもいく私たちの旅。
まるで似ていない内側を持つ私たちの、似ているところを一つ知ってる。
季節の変わり目に気温に合った服をうまく選べないところ。不思議なところが似てしまったものだ。
昨日は暑くて一昨日は寒かった私たちが迎えた今日の最高気温は27度。「半袖でいいよね」と言うあなたに、カーディガンを持たせた私は、またやってしまったと思ってるよ。多分これもあなたの方がさっさと上手にできるようになるだろう。
そうやってどんどん追い越して飛び越えて生きていって。
それで時々振り向いて、眩しい光に目を細めるついでみたいな適当さで、潔く大きく笑っててくれよ。
©︎『乙女たちの祈り』/丘田ミイ子
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「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。
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丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。
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