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【平日随筆】沸かすよりも沸かされたいマジで

そろそろ私に銭湯にまつわる原稿執筆をください。と、今日ははっきりと言っておこうと思う。
とはいえ、さほど大々的に発信もしていないし、世は空前のサウナブームだ。汗も文字も"かく手"数多である故にそう依頼もこないだろう。

ちなみに私は他者からの印象はどうであれ、自分をサ活に勤しむサウナーだとは思ってはいない。整う、という言葉もぴたりと自分の体感を表すものではない。思い切って言うと、実はサウナー御用達の「サウナイキタイ」にも長らくノレなかった。(だって、サ活は記録できるけど、ユ活はカウントできないんだぜ?と思っていた。もちろん持論。今は出先で銭湯を探す際にとってもとってもお世話になっている)

定義自体したくない気もするのだが、私はどちらかといえば、銭湯そのものを愛しユ活に勤しむつまりはオフラーであり、サウナはあくまでその一部。
なので、文字通りホットなサウナスポットをいち早くレビューするような文脈やサウナをめぐる健康論/不健康論という言説ではまるで語れない。語るつもりがないし、誰かにすすめるつもりも、誰かを批判したり対立するつもりもないのである。

と、知らんがな!やかましいわ!と言いたくなるようなトレンド批判めいた小ダサい出だしで始まってしまったことを今少し後悔している。トレンドだろうかブームだろうが本当はそんなのどうでもよくて、みんながいつだって湯上がりみたいに気持ちよく過ごせたら一番いい。ただ、もう少し聞いてもらえたら嬉しい。私が銭湯を通じて常々感じている生きづらさのこと。それを少し手放せる瞬間のこと。

私は一番多い時には週6で銭湯に行く。
そこに山があれば登る登山家のように、そこに風呂があれば入るのが私である。それは子どもの頃から変わらない習慣でもあった。
父や母と近所の銭湯に出かけるのはたいてい週末で、私は二つ歳下の妹と子どもなりの長湯を楽しみ、サウナに入りたがる母をジュースやらアイスやらとよく急かしたりしていたものだ。
その血をまるっと受け継ぐかの如く、見事“サウナに入りたがる母”になった今、どうしてもう少し母をゆっくりさせてやれなかったのだろう、と無意味な後悔に苛まれる。フルタイムで働きながら四人の子どもを育てる母にとって、あの時間はかろうじで捻出した安らぎであり、そしてわずかながらも言葉通り“剥き身”の自分でいられる瞬間だったのだと思う。だからこそ母は私が帰省すると、「風呂行っといで」と無料券を差し出し、その間すすんで子どもたちを見てくれるのだろう。
(ちなみにそんな風呂好き一家の風呂への類を見ぬ情熱はとどまることを知らず、建て替えに便乗しついぞ民家の風呂の狭いスペースにやや無理やりの壺湯を爆誕させていたことは流石としか言えない)

そんな"母"でもある私がなぜこんなにも頻繁に銭湯に行けるのかというと、ズバリ沸かすよりも早いからである。家からチャリで1分足らずの場所に子連れOKの銭湯があるのだ。しかも、炭酸泉、ジェット、高温サウナ、水風呂、露天壺湯、外気浴と小さいながらも全てが揃った最高にイカした町銭湯。こことの付き合いもかれこれ10年。行くたびに、やはり湯は沸かすより沸かされたいものだとつくづく思う。
子どもと行く時も、一人で行く時もある。先に言っておこう。マナーに関しては口うるさく徹底している。なんでこんなことを言うかと言うと、子どもと行くと、わかりやすく嫌な顔をされたり、ため息をつかれたり、小言を言われることも時としてはあるからである。しかしながらそんなことをわざわざ言わずとも、最低限のマナーさえ守っていれば、「公共浴場に子どもがいる」という想定内のことを疎まれたりケチつけられたりする謂れも本当はないし、同時に子がいる私でさえ子どもがいる環境から離れて落ち着いた空間で風呂やサウナを楽しみたい時はあるので、そんな時私は子どもNGのスパに行くぜ、と思っている。もちろんその場では言わない。だけどここには書いておく。安らぐ風呂であっても、そのくらいには息苦しさを感じることはあるのだ。


ちなみに私が母になる以前まだ一人暮らしをしていた頃は、今や遠方からのお客さんも多い超人気銭湯・高円寺の小杉湯が私のホームだった。
小杉湯の魅力はもはや私が語るまでもないが、個人的には深夜まで開けてくれていることが本当に有り難かった。校了明けのクタクタの体を九段下から高円寺までどうにかこうにか引きずるような帰路、その家路に湯の看板にまだ煌々と灯がついていることにどれだけ救われたかしれない。仕事で失敗した日も、誰かと諍いになった日も、失恋した日も、妊娠が発覚した日さえ私を身も心もまるごと抱きしめてくれたのは、今日も今日とて真っ白な小杉湯のミルク風呂だった。

高円寺から引っ越すとき一番お別れが寂しかったのがそんな小杉湯、それからその近くでおじいちゃんが一人で営む定食屋だった。
おじいちゃんは「定食は600円以下でなければ意味がない」という持論により、安く、美味しく、量はちょっと多めの定食を日替わりで振る舞ってくれた(世の値上げを受け、私が真っ先に思いをめぐらすのはそのおじいちゃんのことだ。どうか無理はしないでほしい)。
さらに私が帰宅後もまだ原稿を書かなければいけない時にはおいなりさんやおむすびを自家製のお漬物と一緒にサランラップに包んで帰り際に握らせてくれ、また原稿を書き上げた自分への労いにどうしても一杯やりたい時には暖簾から出した顔を見るなり「おつかれさん」と瓶ビールを出してくれた。「なんでわかったん?」と言うと、おじいちゃんは「顔に書いてある」と猫の尻尾の先端のようなふさふさの白い眉毛をぐっと下げて笑っていた。そんな時のおじいちゃんは優しきエスパーのようでも頼もしいスーパーマンのようでもあって、それからやはりその道一筋のプロフェッショナルなのであった。
店はカウンターのみの造りで、常連さんはほとんどが近所に住む高齢の独り身の方でみんな昼からお酒を飲んだり、そのまま夜まで飲み通す人もいた。
若い客が珍しかったのか私は常連さんたちにも「かわいい服着てるわね」「今日は疲れた顔してる」とたいそう可愛がってもらい、定食やビールをご馳走してもらうこともあった。
風呂上がりの素顔で訪れる時、私はいっそうに自由な気持ちで、みんなに見守られながら、まさしく子どもそのものの絵図で夢中でお茶碗二杯分はゆうにある麦飯をかっこんだものである。その美味しいこと、幸福なこと。
風呂に通う私に銭湯の空いている時間を教えてくれたのもここの常連のおばあちゃんだった。「本当は教えたくないけどね」と耳打ちしてくれたその時間帯に行った日、脱衣所で今まさに入ろうとしているおばあちゃんとばったり遭遇した時には思わず古くからの友だちに再会したように手を取り合って笑ってしまった。そそくさと慣れた手順でミニマムに風呂を楽しんだおばあちゃんは「おさき」と私の頭をぽぽんと叩いた。多分この後おばあちゃんはおじいちゃんの店に行くんだろうなと思いながら、私は「またね!」と湯船から少し体を乗り出して手を振る。
店でめいっぱい可愛がられても、こんなふうに風呂で遭遇することがあっても、その外でむやみに関係が続かないことも心地よかった。私が慣れない都会と厳しい仕事を日々どうにかこうにか乗り切れたのは、一人でいながら独りを感じず、そして独りじゃないのに一人でいれたのは、おじいちゃんの定食屋と小杉湯、あの真っ白な風呂と眉毛とがあったからだ。
そんなおじいちゃんに引っ越し先を告げた時、いの一番に「風呂もあるで、よかったな」と教えてくれたのが、今私が通っている銭湯である。
あの時におじいちゃんも年に数回訪れると聞いた私は、今でもどこかであの白いふさふさ眉毛をつい探してしまうけれど、一度も会えてはいない。どうか多少の値上げに踏み切って、どうかどうかいつまでも元気でいてほしい。


時はそこから10年も流れ、私は妻になり、母になり、文筆家になった。
これだけ同じ銭湯に通っていれば、だいたいの曜日や時間の混み具合、その時々のスタッフさんや常連さんの顔ぶれまでも自ずと把握できてしまうのだが、ここでもまた気軽に挨拶は交わしても特段仲良くなったりはしない。あくまで風呂の中のみで完結する関係である。
裸を知っているのに互いの名前すら知らない、というのはよくよく考えるとそれなりに奇妙なものだなとは思うけれど、私が銭湯を好きな理由はそこでもある。
裸のある種の無情報さ、あらゆる属性をとっぱらって素性のわからぬただの個人でいられることが心地よいのだ。それは言い換えると、今の私がそういう剥き身の状態にあれる場所は今のところ銭湯のみということでもある。

ただ、子どもを連れて入る時には風呂の中とてやはりそうはいかない。
「服」は脱げても「母」は脱げない私は「いくつ?」「いいわね、お風呂が好きで」などという雑談の果てに「一人?今の人は産まないわよね」「お母さんに付き合わされてかわいそうね」などと言われて、傷つき、憤ることもある。こういうとき裸の無防備さは殊更虚しく、なぜかとっとと服を着てしまいたくもなるのだ。
小杉湯に通っていた頃にはそんなことを思わなかったのは、私にそこまでの属性がまだなかったからだろうか。そこまでのことを深く難しく考えなかった自由で無知な子どもだったからだろうか。今の私があのおじいちゃんの定食屋に行ったら、カウンターで交わされる言葉のどれかにムッとしたりプイッとしたりすることもあるのかもしれない。そう思うと、私はこの10年、風呂の外でずいぶんいろんな経験をしたものだとも思うし、ずいぶん不自由になってしまったものだとも思う。

私たちはただ服を着ているだけでもそれなりの情報を提示していて、相手がそんな外見によって扱いを変えたりするという目にもしばしば遭遇するし、母だから、父だから、子どもだから、既婚だから、未婚だから、男だから、女だから、ライターだからと、ほかにも様々なするりとは脱げないものから他者に定義されたり、また自身でカテゴライズしてしまう時もある。
そういう全てのものから一瞬でも解き放たれたくて、度々私は一緒に行きたがる子どもを「今日は一人で行かせて」となだめ、たった一人でいそいそと風呂へ行く。
常連の人たちはすでに私に二人の子どもがいることは知っていると思うけれど、それでも心持ちがずいぶん違う。子どもといる時には諦めざるを得ないサウナに堂々と入って、ゴリゴリと首のこりをほぐし、いつの間にか刻んでしまったしわをキュッキュとのばし、水風呂で一つ深く息をする。外気浴のリクライニングチェアで風が通り抜けていくこの身体は、欲しいところに肉がなく、代わりにいらぬところばかり逞しい全く美しくないものだけれども、私が私個人である所以のような気もして、私はこれまでを労い、これからを鼓舞するようにいつも以上に丁寧に隅々までピカピカにする。そうしてずいぶんと軽くなった体に一度脱ぎ捨てた属性を一つ二つと再び羽織っていくように脱衣所で服を着替えるとき、その傍らで常連のおばちゃんが「あら、可愛らしいの着てるわね」なんて声をかけてくれるとき、このくらいがちょうどいいな、などと思うのだ。生きることはなんて煩わしいのだろう。

どこにいたって、裸であろうと、服を着ていようと、生きづらさや息苦しさはつきまとうものだけれど、ひとまず今の私はこの銭湯の存在におおむね救われている。
機嫌のいい私も、不機嫌な私も、誰かの言葉や振る舞いに傷ついた私も、きっと同じように傷つけてしまってもいる私も、いつだってそこに行けば沸かされている風呂がある。
やはり湯は沸かすより沸かされるに限る。沸かすより早いのだからなおのこと。
今からの時間、あの銭湯は少し人が減る。「本当は教えたくないけどね」。

©︎『沸かすよりも沸かされたいマジで』/丘田ミイ子

*+*+What is 【平日随筆】*+*+

「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。


*+*+Who is 丘田ミイ子*+*+

丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。

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