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【平日随筆】グッド・バイ・マイ・ラブ

2020年の冬だった。
5年ぶりに開催する詩の展示に向けて製作している本の入稿がそこまで迫ったある日、次に入っていた仕事までの間に少しの時間が空いて、そのタイミングでiphoneの充電が切れた。
近くの携帯ショップの充電サービスにiphoneを預けて、外に出る。
こんなにも心もとない気持ちになったのは、iphoneが手元にないということよりむしろ、いつもは持ち歩いている文庫本がないこととか、次に控える仕事のためにmacの充電を使うわけにはいかないとか、何より、東京での暮らしも10年になるのに、この御茶ノ水駅のあたりをあまりに知らなすぎるということだったように思う。

楽器屋やレコード店が立ち並ぶ通りを大学生がたくさん通過していたけれど、この街にどの大学があるのかも私は知らなくて、10年経てど東京はまだ遠いな。
なんとなく、そんな気持ちになった。
お腹も空いていなかったし、1日に重なった打ち合わせでアイスティを飲みすぎていたこともあってカフェに入る気にもならなかった。
macを充電できて、少しのお金で1人になれる場所。そんな場所はどこかにないだろうかと見慣れぬ街をさまよっていると、目の前にものすごく安いカラオケ屋が現れた。人生で初めて1人でカラオケ屋に入った。

全然知らないアーティストがちょっと知っているタレントと対談している動画が流れている中、なんとなくパソコンをいじったり、1日で感じたことを言葉に残しながら、せっかくだから1曲くらい歌っておこう、という気持ちになった。
どうしてかはわからない。
選んだ歌はアン・ルイスの「グッド・バイ・マイ・ラブ」だった。

長らく聴いていなかったし歌ってもいなかったこの歌と紐付いているある出来事があった。忘れられない思い出で、忘れたくない思い出でもあった。
それは、3年前にこの世を去った、親子くらい歳の離れた友達と一緒にカラオケに行った時に歌った歌だった。


「みいきちゃんは、なんでこんな歌ばっかり知ってるの?」
「ほんまに一緒の時代に生きてたみたいやんねえ、面白いなあ」
私が好んで歌う昭和の歌謡曲やフォークソングを聴きながら笑う。横浜での暮らしが長いはずのその人は、中国地方の訛りに少しの関西弁が混ざったような話し方をしていた。面白い話をすると、目を細めながら「もう、やめてえ〜」とよく泣きそうな顔をして笑っていた。中国地方に実家があって、関西で社会人を過ごし、結婚して愛する旦那さんと横浜の地に住んでいる彼女の、私の知らないこれまでの人生が詰まったような、そんな話し方が大好きだった。

「みいきちゃん、みいきちゃん」といつも可愛がってくれたけれど、私たちはしっかり友達だった。一緒に演劇を観て、カラオケに行って、お酒を飲んで、お買い物もした。ねじリズムという劇団が好きで、サッカーが好きで、ヘビメタが好きで、音楽や映画にもとことん詳しかった。美人だけど、とても恥ずかしがりやだった。
私に会うときはいつも両手いっぱいの紙袋を抱えていて、「行商のおばちゃんちがうよ」と笑っていた。中には、かわいい雑貨やおいしいドレッシングや演劇やライブのDVDや、そのときどきでハマっているキャラクターのグッズが入っていた。

中でもふなっしーブームは長く、絵文字やスタンプにも多用。舞台や映画に心を打たれ泣いてしまった時には「なし汁、ブッシャーやったわ」などと言っていた。
当時私がライターとして働いていた雑誌にふなっしーのインタビューが掲載された時には大喜びで「発売日に買ったわ」と連絡をくれた。ふなっしーが載っていなくても毎月そのティーン誌を買っては、私の名前がクレジットされているページの写真を送ってくれたりしていたけれど、この時の興奮ぶりはすごかった。
「みいきちゃんもついに、ふなっしーと共演か…」
真面目に感慨に耽る彼女が可笑しくて、彼女とのやりとりのためだけに私はついにふなっしースタンプを買ってしまったのだった。

会った時には夕方から何軒かお店をはしごしてもまだ話し足りなくて、遅くまでやっている新宿のベローチェで終電までしゃべり続けた。笑い転げた。そして、時々、泣いた。
「はよ!今のうちよ!」
私の乗る終電のドアが閉じかけたあの時、誰よりも先に走って扉に傘を挟んで開けてくれた、わたしの友達。丸ノ内線のアナウンスに叱られながら、新宿三丁目駅のホームに残って笑う彼女にいつまでも手を振っていた。
私は、彼女のことが大好きだった。


グッバイ・マイ・ラブこの街角で

グッバイ・マイ・ラブ歩いてゆきましょう

あなたは右に 私は左に ふりむいたら負けよ

イントロが始まって、歌い出す頃にはもうどうしようもないくらいに涙が止まらなかった。どうして、彼女はいないのだろう。今、ここにいないのだろう。

あれから大きな夫婦喧嘩を何度もしたんだよ、2人目を妊娠したよ、男の子だった、W杯すごかったね、ふなっしーが映画になったよ、KISS最後の来日公演だって、ねじリズムが2人芝居をやるよ、今度仕事でそっちの近所に行くよ、会えたらいいのに。
本当に、会えたら、どれだけいいのに。
彼女がいなくなったのは、春だった。

愛しい人とお別れをするとき、強く思う。
そのお別れからの帰り道の、熱い涙の味、冷えた鼻先、手に握る汗、季節の風のにおい、そうしてまたお腹のすく体を持っていること。月が満ち欠け、潮は満ち干き、風が吹いて凪ぐように、生きていること。生きていたこと。
彼や彼女が命を終えたそのことよりも、生きていたことを、そこにいたことを少しだって忘れたくない。
こうして思い出すたび、さみしくなっても、会いたくなっても。
少しずつ忘れてしまうようにできているこの体に呪文をかけるように、私はとびきり大きな声で歌った。

グッバイ・マイ・ラブ二人の愛が

グッバイ・マイ・ラブ真実ならば

いつかは逢える これが本当のさよならじゃないの

忘れないわ

あなたの声、優しい仕草、手のぬくもり

忘れないわ、くちづけのとき

そうよ、あなたのあなたの名前

もちろん、あなたの、あなたの名前


ふと対面で、「もう、やめてえ〜」って、彼女が笑った気がした。
「これ、ラブソングやんか〜」そう言って、一緒に笑い合う姿を想っていた。
御茶ノ水駅に日が落ちる。通りは授業終わりの学生の声でいっぱいになる。
充電は多分もう済んでいるけど、もう少しここにいようと思った。

©︎『グッド・バイ・マイ・ラブ』/丘田ミイ子
写真/吉松伸太郎
初出:随筆集『喝采の日』
歌詞引用:「グッド・バイ・マイ・ラブ」歌/アン・ルイス 詞/なかにし礼


*+*+What is 【平日随筆】*+*+

「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。



*+*+Who is 丘田ミイ子*+*+

丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。
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