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苦しみは自分だけのものだよね。

お久しぶりです。

今日は昼間起きたのですが…竹内結子さんの訃報があまりにも信じられず一日呆然としてしまいました。

中学生のころ?かな?小学生かな?

ナツとしか会えない時期があって二人で見た映画が

「いま、会いにゆきます。」でした。

今でも邦画では一番好きな映画かもしれません。

美しいだけじゃなくて表情の作り方もとても魅力的で大好きな女優さんでした。ただただ悲しい。

お子さんも生まれたばかりで何故?

悩んでいる様子はなかったのに何故?

そんな記事ばかり目にします。

でも、何故なんて一生分からないんです。

もしかしたら辛い、逃げたいその衝動にそのとき素直に従ったその人も何故自死したいのか考え抜いて自死を選んだわけではないのかもしれません。

自死は事故のようなものなんですって。

たまたま襲ってきた辛い出来事。そのとき一人だったこと。

そして死んでしまいたいという衝動と実行できるエネルギー。

すべてがマッチしてしまって起こる事故なのだと。

とても有名な女優さんです。

何故?ってみんな知りたいと思う。どこかにあった心の暗闇を知りたいよねきっと。でもそんなものは彼女の心の中にしかない。他は私たちの想像でしかなく、メディアなどが造り上げた偽物だと思う。

三浦春馬君が死去した時ライターさんが書いていました。


「死は生の片隅に置かれるべきだ。

三浦春馬という俳優は30歳で自死した俳優ではない。

30歳まで生きた素晴らしい俳優だと記憶すべきだ」


私も彼女が何を苦しんだのか知りたい気持ちはもちろんあるけれど

それを知って事前にそうこうできたわけでもない。

一番近くにいた皆がきづけなかったのならそれは、

「彼女だけの戦い」だったんだと思う。


「生は死の片隅に置かれるべきだ。

竹内結子という女優は40歳で自死した女優、ではない。

40歳で逝去するまで数々の名作を産みだし、沢山の人々の心に

笑顔や感動をもたらしてくれたとても才能ある美しい女優

そう記憶すべきだ。」


きっとそうだ。


いま会いにゆきますの澪みたいに、

結子さんもふとご家族にあいにきてくれないかな。

そんな奇跡はきっと涙が出るほど優しい。

雨の季節に。




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