しにたい気持ちはなくてもしにたかった私に勝てない

死にたいって口癖だった。簡単に酔えて簡単に気持ちよくなれちゃう言葉だから。
特に12歳とか、15歳くらいまでは魔法の言葉だった
周りの人はみんな楽しそうだし、将来もうまくやっていけそうなのに、自分だけ周りと違うんだみたいな一種の自信にできて、年齢を振りかざすほど強くなれる心地がしてた。

だけどもう17歳だし、そんなこと言ってる人も増えて不思議じゃないくらいになってきた。年齢が上がるほどに「死にたい」なんて言うことが特異なことじゃなくなることはずっと分かってた。
でも結局私はただの「あの時死にたかった人」になっただけだった。

あの時すごく人生頑張ってた。
頑張らなくても毎日息が吸えて、ご飯が食べられて、趣味とかに時間を使うことだってできるくらい恵まれてるのに、なんだかすごい毎日頑張って生きてるって感覚があった
「人より頑張ってる」みたいな謎の自信が生きる原動力になってたから、あらゆることに全力を出せたしいつまでも頑張れる気がしてた。だけどしんどかった。

今はその時みたいなしんどさってほぼなくて、学校中の人に言いふらせるくらい毎日楽しいと思ってる。将来への不安みたいなのも結構0に近い。
だけど全然頑張れない、頑張れないから頑張ってた時の私みたいな努力の仕方ができないし、あれもしかして私って死にたくないと生きられないのかな?って思っちゃう
きっと今までもそう思う瞬間は何度もあって、一瞬楽になるたびに自分の首絞めてきたんだと思う。
でもやっぱそうしてた時はしんどかったと思ってるし同じやり方をしちゃいけないとも思う。

今の私の生活はただの能天気なのかな?
能天気だから楽しく過ごせてるだけ?

長いことずっと0か100か主義で、完璧じゃないと許せなくて自分が思い描いた道を辿れないなら人生なんてやめてやるって思ってた
そこからだんだん、完璧じゃなくても楽しく生きられるって知ってからいろんなことを許せるようになったけど、全然上を見上げられない人になっちゃった
そういう生き方ってどこかでガタがくるのかなあ

中学受験、高校受験とどちらも難関高校を「行くなら上を目指したいから」って理由で受けて、結果どっちも落ちてるんだけど、そういう頑張り方をしてた私が今の私を見たらなんて言うんだろう
「楽しければいいよ」なんてあの時の私が言うんだろうか
でも今が一番楽しいし、ちゃんと今日も生きてる。

なんだろう、頑張りたくないのかも


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