わたしと鶴とお母さんと

先日、のツアーの福岡公演に行ってきた。


わたしの周りのひとは「ああっ」と言ってくれるだろうけど、大半のひとはのことを知らないことが多い。それは、まあ、いいんだけど。ううん、よくはないのだけど、今日はそこを説明したいわけではないので割愛。


一昨年までのわたしはほんとうによくのライブに行っていて、3ヶ月に1回は行っていたかな。
のメンバーや音楽、ライブが好きなのは大前提に、いまでは行くと知っている誰かもLiveを観に来ていて、おしゃべりをしたり、いっしょに乾杯することが楽しくて楽しくてしょうがないというのが正直なところ。ファンの誰かに逢いにいっていると言っても過言ではない、そこまで含めてがのライブ。そんな感覚。いや、それでも鶴がいなくちゃわたしたちははじまらない。


去年の2月、1年間に47都道府県を2周するというツアーを敢行した。大ファイナルは大阪で、どうしても見届けたいという気持ちから、わたしも迷わず行った。

無事に彼らは走りきった。

あのumeda AKASOの雰囲気は、とてもとても温かくてぽかぽかで、は間違いなく愛されていて、あの空間には愛しかなかった。ダブルアンコールの乾杯(曲名)の全員の振り切り具合は本当に最高だった。



完走を見届けたわたしは、福岡へ戻り、

「もういっとき、遠征はお休みしてね」とお母さんに言われた。今までそんなことを言われたことがなかった。でも理由は言わずとも伝わった。

数日後の3月9日にお母さんは逝ってしまった。

1年間ほど病気だった。

それでも笑顔でわたしを大阪へ送り出してくれて、きっとギリギリだった。最期が間近に迫っていたなんて、思いもしなかった。

けど、母はきっとそれからのこともわかっていたんだと思う。


通夜の日はの福岡でのライブイベントの日だった。のライブに行き始めて、福岡での公演に行かなかったのははじめてだった。
無論、それどころではないし、当たり前なんだけど、わたしにとっては当たり前が当たり前じゃなくなったことを思い知らされた出来事だった。


それから、すこしとの距離をあけた。はじめは意識的だったか無意識だったかははっきりとは覚えていないけど。

家のこと、仕事のこと、ほかにもわたしが中心になって関わっていることが幾重にも重なって、もうがむしゃらだった。

1番近くでわたしを支えてくれていたひとがいなくなったことは、やっぱり何ものにも代えがたく、どんっと、ぼっかりと空いた穴は、なかなか埋まらないものだった。

今までいろんなことが上手くやれてこれたのは、25年間いつもいつも家に帰ればいてくれた母のおかげだと、痛いほど、毎晩感じたし、わたしにはがむしゃら以外の方法が、さっぱり見つからなかった。

毎日隈なくチェックしていたや周りのみんなのTwitterも、HPも、ときどき、さっと見るくらいになった。さっと見るというのは、そこに気持ちを乗せない感覚。

気持ちを入れて、距離近く感じると逢いに行きたくなる。でも行けない行かない、と、自分が苦しくなるのがわかってるから。 逢いに行っても行けなくてもほんとは誰も怒らないのにね。

他のことでいっぱいいっぱいだったから、いい距離感の保ち方や付き合い方がよくわからなかった。

は8月に新しいアルバムニューカマーをリリースした。フラゲも予約もせずに新譜を買った。

ネットやSNSの付き合い方がわからなくても、逢いに行けなくても、の音楽はいつも耳にあって、いつも背中をやさしくさすったり、ぽんぽんと励ましてもらっていた。

強引に腕をひっぱって走っていくことはしない。
後ろからボンボン前に押したりもしない

はそういう音楽をもつひとたちで、ニューカマーもきっとそうであってくれると思ったから、わたしは買った。

同時にはじまったツアー。福岡公演は3マンの対バンだった。わたしは仕事ではないけれど、大事な用事がある日だったけど、どうにかどうにか、ラストのには間に合った。3マンだと時間が短いため、曲数が少ない。

ほんと一瞬だったけど、ニューカマーからの新譜もかっこよく、やってくれるとは思わなかった大好きなハイウェイマイウェイを聴け、旅人では大号泣。もっと聴きたいと思わされたけど、十分しあわせだった。

その日、ライブ前の大事な用事は、仕事ではないものの、わたしが1年前からリーダーとして抱えていた、大きなイベントごとの最後の日だった。そんなこともあり、そこまでのがむしゃらさが報われたように思えたから。

それから、もうひとつ。きっとわたしがくるだろうと思って、わざわざ福岡にきてくれたあなたにも。いや、一部だけがわたしが理由だったとしても、その気持ちがうれしくてうれしくてたまらなかった。


そのあとからも、再び怒涛の日々が続く予定で(実際に続いて)、その時間はただただ、束の間の休息だったけど、確実にわたしのエネルギーは満たされた。


そこからも、続けて距離は置いたままにした。

それでもわたしもあっち行ったりこっち行ったりと毎日を駆け抜け、年末はあっという間にきて越えて、冬も終りが見えそうなころまでくると、


の「ALL TIME CLASSICS〜振り返れば曲がいる〜」というワンマンツアーが始まっていた。


いつものツアーとは違う、結成してから今までの曲たちを、その場所ごとにそのときの鶴の気持ちでセットリストを組むという、とってもspecialなツアー。

行きたいに決まってる。

わたしは鶴を知ってかれこれ7年くらいになるけれど、生で聴いたことのない曲たちもあるわけで。会場ごとに曲が違うとなると、いろんなところに行きたい、行きたい、行きたい。(彼らの思うツボだけどそれでいい。)


少し気持ちの余裕も出てきて、今回のツアーのスケジュールと自分のスケジュールを照らし合せた。2月が誕生日のわたしは、同月に福岡に来てくれることもうれしかった。福岡には行こうと決めた、休みもとった。とはいえ、お仕事的になかなかハードな時期になりそうだったから、他の会場はスケジュール的に難しかった。


福岡公演当日は、ライブ当日を迎えるのが久しぶりだったから、どんな準備をして、どんな気持ちでいたかをすっかり忘れていた。タオルは必要で、ラバーバンドもって、、あ、チケットチケット、、、と口に出しながら準備。しっくりこないまま家をでた。天神についてから、ようやくそわそわしてきた。「あ、ライブの日ってこういう感じだった」と思い出した。

勝手に福岡代表感をもっているわたしは、いつも福岡での公演が心配だったけど、明らかに変わったなと思ったのが、が94都道府県ツアーで九州全土を回ったことで、他県の九州のみんなが来てくれるようになっていたこと。

「フクオカーーー!!!!」と言ってくれて「わあああああ」とはなるけど、「キュウシューーー!!!!」と言ってくれたあと「わああああああああ」のボリュームが明らかに違ったのはそれを表していると思う。

実際、わたしの周りには、九州でいえば、熊本、宮崎、鹿児島のメンバーがいたし、今回のツアーは特に、九州では福岡だけだったからかもしれないけど、そこを彼らがわかってくれているような気がしてとっても嬉しかった。

愛を感じた。
(九州と呼びかけられることって、今まであんまりなかったように思う。)


わたしは福岡人だけど、やっぱり地元にきてくれるのは特別嬉しいものだ。来てもらえなくても、気にかけてくれることがわかるだけで嬉しい。それはどこのひとだって同じだろうから。九州括りは嬉しかったな。


きっと、ずっと、大切に思ってくれてありがとう。



福岡公演はとっても盛り上がった。Be-1(その日のハコ)ではわたしがに行き始めた史上だったように思う。福岡がたのしく終わるとわたしもたのしい。がたのしそうだとわたしもたのしい。だからとってもたのしかった。

個人的にうれしかったのは、わたしがはじめて聴いたのアルバム《期待CD》から5曲もやってくれたこと。勝手ながらの幸福感・・・


若いお客さんも増えてた(なんてわたしが言ったら怒られそうだけど)。わたしがライブに行き始めたくらいの子たちが少し増えてた。魅力が伝わることはとてもうれしい。

そうそう、かっこいいよねお兄さんたち。

かっこいい、、、?いや、なんというか、近所のお兄さんたちみたいだけどね、ライブ中かっこいい。
ふざけてるときもあるけど、ズドンとやられちゃうかっこよさがある。

誤解を生みそうだ、、、こう書くと普段違うみたいだけど、そこ難しい。怒られるかな。いや、かっこいいっす。
そしてワイワイユラユラと楽しい、あたたかい。としてもそうで、3人ともみんなそう。

少し歳を感じるときもあるけどね、はじめからそこは変わってない。


福岡公演が終わり、
渋谷ファイナルに行っちゃおうと決めた。

1年間お休みしていた遠征だ。



2日間休みだったこと。
母とお別れした日から1年間が経とうとしていたこと。
周りのみんなが快くOKしてくれたこと。
タイミングが重なった。

もういいよね?

と聞いても返事はないけれど、
「もう、、、(笑)いってらっしゃい!!」
って笑っていってくれるように思ったから。


久しぶりの遠征準備は、これまた久しぶりだったから勝手を忘れていて、1泊なのに異常に荷物が重かった。行くことはSNSには何も書かなかった。


会場に到着すると久しぶりに逢えたひとたちばかりだった。思い出のファイナルの大阪以来のひとたちばかり。うれしくってうれしくって何度もハグをした。みんなだって都外のひとばかりなのに「よく来たね〜!!!」と言ってくれた。あれから1年が経つことを伝えると「ご褒美だね。」とみんな言ってくれた。

開場して、ギリギリにチケットを買ったわたしの整理番号はとてつもなく最後のほうだったけど、会場の後ろの方にすでに顔なじみのみんながいたため、わたしもそこに位置することにした。


次第に周りには顔なじみばかりになった。

開演前に、わたしはもう胸がいっぱいだった。

みんなとお話したいのに、久しぶりの笑顔を見ると、言葉に詰まりそうでほとんど笑うしかなかった。それをいろんなひとと続けていると「あ、もうダメだ」というタイミングがあって、泣けてきた。は出てきてないのに、ぽろぽろ止まらなかった。
「また出てきてないよ〜」って慰めてくれた。


この1年間、なんとかやってこれてよかったと純粋に思った。あたたかいみんながいてくれる場所に帰ってこれてよかった。単純に嬉しくて、涙になった。

きっとみんなだってそれぞれの1年があってのいまだろうけど、変わってないようそこにいるみんなの強さもあたたかさに思えた。
彼らが好きでも、その日、会場にいないひともいる。わたしもそうだったように、みんなそれぞれの都合や事情や気持ちがある。行きたくても行かない選択がある。 そんなみんなのことも隈なく想った、忘れてないよ。いつもいつも思っているし探してるんだよ。


のお兄さんたちはこの日も最高だった。

ぐいぐい引っ張ろうとはしないのに、明日からも楽しんで走り続けるエネルギーをしっかり与えてくれる。君たちの毎日が好転するように、背中を押してあげたいって言ってくれる。
「俺たちがいるから大丈夫」と2回続けて言ってくれた、このとびっきりの言葉には、覚悟もひしひし感じたけど、わたしは間に受けるタチなので、「ありがとう」と「よろしくお願いします」をお返ししたい。


いてくれて、続けてくれてありがとう。


ソウルメイト今夜のときは、
ふと隣にお母さんを感じてボロ泣きした。
わたしの右側にいてくれた気がした。
お母さんとは1度のライブにいっしょに行ったことがある。


3月9日でお母さんとさよならして、1年が経ちました。



この1年は、いつだって悲しかったし、寂しかったし、心細かった。大丈夫だ、と思ってはいれど、なかなか拭えなかった。ネガティヴな気持ちは見て見ぬ振りをすることが多かったけど、周りのみんなにもしっかり悲しみなさいと勧められたし、そんな思いもしっかり受け止めて感じてあげると自分にも優しくなれた気がした。


そしてそんなその思いの分、わたしは周りのみなさんのあたたかなやさしさや愛に、いつも包んでもらっていた。自分で抱え込むくせのおかげで、何度も何度もいっぱいいっぱい期を迎えたけれど、その度に手を差し伸べてくれたひとがいてくれた。そこに距離はなくて、しっかりしっかり届いています。

簡単な言葉では感謝しきれないほどで、「ほんとうにありがとう」では足りなくて、なんと気持ちをお伝えしたらいいのか、いつもちゃんと分からぬままだけど。
心から最高に感謝しています。



1年経ってわかったいろんなこと。


わたしは未熟ものだということ。
そして、母はとてもとても偉大だったということ。

わたしの人生はわたしのもので、
変えたければ自分が変わるしかないこと。

周りにいてくれるひとたちが、わたしの想像を遥かに越えて、わたしを大切に思ってくれていたということ。

家族も、家族みたいに思う周りのひとたちのことも、とても大切にしたいということ。

3人兄弟バンザイなこと。

ひとに甘えてもいいんだということ。

大好きなお笑いと音楽は、いつだってわたしを幸せにしてくれるということ。


この1年間は気持ちも出来事もあらゆることが落ち着かないまま、駆け抜けた。忘れたくないものが多くて、忘れたくないって思うのに、どうしても忘れていってしまうことの悲しさも知った。


いつどうなるかなんて、わたしにも誰にもわからない。

でも、この先があればいい。
まだまだ生きたいと思えていることをとてもしあわせに思います。



Miho



追記


言葉にしようとしたタイミングはたくさんありましたが、大切に綴ろうとするあまりにまとまらないことが多く流してきました。今回、1周忌という1つの区切りで、鶴のライブも重なり、いまがタイミングだとこの文章を思い書き始めました。最後まで辿り着くのに1週間ほどかかりましたが、自分の中にからまっていたものを言葉にようやく出来たように思えます。(途中ライブレポのようになっていますが、彼らが最高なので割愛できませんでした。)

たくさんの愛に心から感謝いたします。
ほんとうにほんとうに、ありがとうございます。


追追記

言葉にすることが好きです。そんなことももっとしていこうと思います。

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