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はじめてのお百度詣りレポ 30代女性編

大阪府東大阪市にある石切劔神社〈いしきりつるぎじんじゃ〉。こちらは大阪はもちろん関西では知らない人はいないほどメジャーな神社。ガンや腫瘍など、腫れ物やできものを切ってくれるというご利益があるそうで、いつもたくさんの参拝客で賑わっている。

さらに、悪縁なども断ち切ってくれるとも言われており、中でも参道を100往復ぐるぐる歩いて回る【お百度詣り】が有名。私も石切には何度も参拝していて、エネルギーをいただいていたり、不要な縁を切ってもらったりしているけど、毎回ぐるぐると回って歩いているお百度詣りの光景は異様というか「執念つよいなーー笑」と遠巻きに見ている側だった。

そんな私が突如、お百度詣りをしようとしたのは、とっくに切れて存在すら忘れてた非常に厄介な人物が再来したからだ。これはまずい。そいつは私のメンタルを攻撃しまくって、安全な生活を破壊してくるので、内野に入られる前に徹底排除することにしたのだ。

「もうこれは、お百度詣りしかない」ふいに頭に浮かびそのまま石切神社へ参拝した。
8月真夏の大阪、気温35度。しかも西日差し込む過酷な14時半スタート。さすがだ、強敵を倒すためには絶好の過酷な条件である。

お百度詣りは、賽銭というか心持ちということで何百円かを納めて、100本ある、こより状の紐の束を受け取る。これを1周ごとに1本ずつ折っていきながらカウントするのである。

お百度詣りカウント紐

本殿に、二礼ニ拍手して氏名を名乗ったらいよいよお百度詣りをスタート。
1本、紐を折りつつ握りしめ、すでにぐるぐる回っている人たちの間に、ひょいっと入り意気揚々とスタート。

参道に置かれた2つの石と石の間をとにかくぐるぐる回って歩くだけの時間。どうやら折り返しの石のところで、手をポンと石に乗せて触るのが暗黙のルールらしい。真似をしつつ、黙々と歩く。

【ここからは、段階を踏むごとに私の心がどのように変化していったのかに焦点をあてて行こうとおもう。】

○10周
人間の脳は常に色々なことを耐えず考え続けるので、無になることは難しい。歩きながらも、10周目までは祈願したい内容「アイツが消えますように。私にかかわってきませんように。」と、個の願望ばかり考えていたし、祈願という欲が非常に表だっていた状態。

○20周
同じところをぐるぐる回るので、自分がいま何周目なのかわからなくなってきた。そして暑さで汗が吹き出し、おでこを拭いながら歩く。考えていたのは、家族や好きな人のこと。「子どもが健康でいられますように、好きな人が事故などに巻き込まれないように。」といった自分の周りが安全安心に暮らせるように祈っていた。この頃には、最初の頃に気合を入れていたような個の願望についてはすっかり抜け切っていた。

○30周
灼熱の西日に照らされ、疲れがでてきた。途中何度か立ち止まり、何周目なのか紐を数えて確認しては「まだ30か」とため息が出そうになる。それでも歩き続けるが集中力が切れ始めて、周りの様子を見ながら歩くようなになる。心の方は、祈願に集中できずにSNSが気になったりするけどスマホは出さないようにしていた。もう止めようかなという心のささやきに飲まれそうになる。

○40周
突然、やる気が再来。もっといけるもっと歩ける。急に頭がクリアになり、ポジティブな感情が湧き出てきた。
多分これはランナーズハイな状態。心の方は、石切神社の神様と、家族や大切な人たちへの感謝の気持ちで溢れて、全員愛してる愛しい人たちLOVE❤️ほんとにこのままの言葉が浮かんできた。さらに、10周目の頃に感じていた、人物への縁切りのことについても、かわいそうな人ね。愛が足りてないから、その人も幸せになれるといいね。と思うようにさえ変化した。

○46周目
「セミが死んだ!」近くで死にそうでヨタヨタしていたセミをずっと見ていた子どもの叫び声で、集中力が切れて、私のお百度詣りは完全終了した。フッとこの世界に戻ってきたような感覚で、心は無そのものだった。最初に祈願していたことなど、もはやどうでもよく小さいことに感じていた。
汗も止まらないし、喉はカラカラだし体力的にこれが限界だった。開始から45分ほど経過していた。

お百度詣りは、必ずしも100周しなくても良いらしい。歳の数だけ、縁起をかついだ数字の分など自分で決めていいとのこと。年齢分はとっくに過ぎたし、十分なマインドセットになった。

体験してみると、お百度詣りはまるで歩く瞑想。ヨガにも通ずることだけど、雑念が徐々になくなり最後は感謝がのこる。祈願という思い〈念や欲〉を消すためのもの
でもあるんだろうなと感じた。お願いごとをするためではなく、今あるものや事象に感謝して過ごすこと。大切な人や事を見つめ直すキッカケとなる。他人に対して期待したり願望をぶつけて返してもらうのではなく、自分が動いて心を変えることがずっと近道であって正解なのかもしれない。

お百度詣り中に、息を引き取ったセミを見ながらそんなことを悟った。石切神社の神様、ありがとうございました。

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