けいさん_

市川 恵さん 第1部「学び」を問い直す

市川恵(いちかわけい)さん
島根県益田市社会教育コーディネーターをされています

画像1

画像2

Q1.社会教育コーディネーター

Q、社会教育コーディネーターってどんなお仕事なんでしょうか?私は初めてこの言葉を恵さんからお聞きした時、思わずネットで検索してしまいました(笑)

わたしは、小学校を地域コミュニティの拠点にしていくために、学校と地域(社会教育)をつなげるお仕事をしています。…と言っても、具体的に何をやっているのか、よく分からないですよね(笑)
ではちょっと、視点を変えて。まず、「学校」と言えば何を思い浮かべますか?
教室。黒板。先生。国語、算数、図工、音楽等の授業。給食。昼休み。みんなに共通した体験があるので、「ああ、それそれ」ってイメージを共有しやすいですよね。わたしは普段、学校の一職員として中にいるので、授業や昼休み、給食や掃除、学校行事など、そのすべてに少しずつ関わって、子どもたちと過ごしています。授業では特に、地域と関わることが多い、生活科・総合的な学習の時間を中心に授業づくりのお手伝いをさせてもらっています。

じゃあ今度は、「社会教育」と聞いて何を思い浮かべますか?
なかなか「これ!」っていう言葉が出てこないんじゃないかなと思います。簡単に言うと、学校以外で行われる教育はすべて「社会教育」です。「勉強するのが子どもの仕事。」なんて言われたりしますが、学校の中でしか人は学ばないんでしょうか?子どもの時しか学ばないんでしょうか?そんなことはないはずです。地域や生活の中で学ぶこともあれば、大人になってから学ぶことだってありますよね。
わたしは小学校の職員室に席をいただいているんですが、「社会教育コーディネーター」として関わるのは小学生だけではありません。小学校裏にある保育園の園児さんたち。小学校を卒業した地元の中高生たち。それから地域の大人たち。子どもから大人まで、幅広く関わっています。
子どもの数も少なくなって、小学校に空き教室ができていたんですが、学校と地域でこの場をもっと活用していけないかという話になって。そこで中高生にアイディアをもらい、みんなで壁紙を張り替えたり、スツールをつくったりして、「地域交流スペース」が完成しました。学校の中にこんな空間ができるなんて、信じられませんよね。

けいさん③

(「地域交流スペース」の活用について、中高生がアイディアを出し合っている様子)

けいさん④

(大人の会議に中高生が混じって、「地域交流スペース」の活用について話し合っている様子)

けいさん⑤

(完成した、「地域交流スペース」)


最近では、さらにこの場を活用して、「マスダひとまちカレッジ とよかわキャンパス」というものもできました。朝ヨガやパッチワーク、インドネシア料理、水引ハンドメイド教室…。誰かの「やってみたい」という声から、様々な学びの企画が生まれています。新たな大人の学び場づくりとして始めた活動でしたが、面白がって子どもたちも参加してくるようになり、今では子どもと大人が混ざり合って活動することが当たり前の風景になりつつあります。

画像4

(マスダひとまちカレッジ インドネシア料理教室の様子)

Q、では、子どもたちは社会教育コーディネーターのことを、どう思っているのでしょう?

子どもたちは、わたしのことを「市川先生」と呼んできます。でも、学校の中だけでなく、夏休み中の活動や、お祭り、マスダひとまちカレッジなど、地域の中でもよく出会う存在なので、なんとなく「社会教育コーディネーター」だということは分かっているようで、なぜか中高生になると「市川さん」と呼ぶようになる子もいます(笑) 
曖昧な立場の大人だからこそ、子どもにとってはかえって話しやすいこともあるようで、本当にいろんなことを話してくれます。友だち関係での悩み事をぽろっと話してくる子もいれば、自分が描いた漫画を毎月持ってきては見せてくれる子もいます。そうした一人ひとりの姿を知っているからこそ、学校と地域をつなぐ架け橋の役割ができます。

Q、どうしてこのお仕事を始められたのですか?

<偏差値を気にして生きていく子と、そうでない子って共生できないのかな?って思ったんです>
東京の下町で育ち、中学受験を経て都心の進学校に通いました。一番ショックだったのが、その学校にあがってくる時点で、偏差値至上主義みたいな価値観が、みんなのなかにできあがってしまっていたこと。だけれど、わたしが育った地元では、中学受験をする子はほぼおらず、ましてや偏差値で人を判断しようとする子なんていませんでした。私は、受験して進学校に行ったことで初めて、そういう偏差値という数字ばかりを気にして生きていく世界を知ったんです。
そんな、都心の子と地元の子とのギャップを見た時、偏差値を気にして生きていく子と、そうでない子って共生できないのかな?って思ったんです。

<サドベリーバレー校、との運命の出会い>
こんな経緯で教育に興味を持ったわたしは、高校生の時、たまたまテレビで「サドベリーバレー校」(アメリカのボストンにあるフリースクール)を知りました。日本では「フリースクール」は不登校の子が通うイメージですが、アメリカでは、公立学校のほか、家で学ぶホームスクーリング、フリースクール…と様々な選択肢があります。だからこそ、学校に行きたくない・行けないからという理由ではなく、子ども自身の積極的な選択として、この学校に通って来ます。
サドベリーバレー校では、時間割もクラスもテストもなく、何を学ぶべきか決められていません。毎日どのように過ごすかは、子どもたちの自由なんです。「あなたの学びたいことが、あなたにとってのカリキュラムになる」「何に興味・関心があったとしても、それらはすべて同等の価値を持っている」とされ、卒業のタイミングも自分自身で決めます。
また、子どもを一人の人間、コミュニティの一員としてみなすこの学校では、大人は「先生」ではなく「スタッフ」と呼ばれ、校則もみんなで話し合って決めていくんです。そのためこの学校は、「デモクラティックスクール」とも言われていました。
こんな学校のようなコミュニティがあったら、みんながお互いに認め合えるんじゃないか。共生できるんじゃないか。そんな想いを持って、大学では教育学を専攻し、サドベリーバレー校について卒論を書くことにしました。

画像5

(サドベリーバレー校の写真)

<卒論をきっかけに、島根県に注目>
卒論を書いていて分かったのが、サドベリーバレー校は、タウンミーティングをモデルにしてつくられた学校だということ。日本では、新たな教育の在り方を模索するとき、海外の事例や方法が輸入されることが多く、サドベリーバレー校もそのうちの一つでした。だけれど、タウンミーティングがモデルなら、むしろ日本の地域にも文化としてあったはず。古来の地域コミュニティの文化を活かしながら、お互いに認め合って共生し合える社会を、教育を通じてつくっていけないだろうか。そんなことを考えていたときに出会ったのが、海士町(島根県隠岐郡)でした。

<島根県益田市へⅠターン>
その後は大学院に進み、修論を海士町(島根県隠岐郡)で書きました。東京での社会人経験を2年経て、3年目に益田市に移住しました。大学院時代のご縁がきっかけで、当時島前高校で高校魅力化コーディネーターをしていた第一人者の方に、益田市をご紹介いただきました。実際に足を運んでみると、「社会教育コーディネーター」がフリーランスで柔軟に動くことができ、且つ小学校の職員室に席があると聞いて、かなり画期的な取り組みだと感じ、このお仕事をやってみたい!と即決しました。


Q2.島根県益田市

Q、ずばり!どんなところなのでしょう?

そうですね~。人口は、約46,000人。特産品としては、メロンやぶどう、トマト、わさびなどが有名です。市内に空港があるんですが、東京からも飛行機だと1時間半で行けて、実はアクセスが良い場所でもあるんです。 山陰の割りにあまり雨も降らず、陽気な天候なので、「ラテン系」が多いと言われています(笑) ちなみにわたしのお気に入りの場所は、益田のモンサンミッシェルと言われる、日本海に突き出た「衣毘須神社」です!

画像6

(衣毘須神社の写真)

Q、益田市の掲げる「ひとが育つまち」というメッセージ、素敵ですね!

そうなんです!最近とっても素敵なホームページもできました。
わたしにとっては、益田は学生の頃に学んでいたことを実践できる場で、「ひとが育つまち 益田」という通り、まさに私を育ててもらっているなあ~と感じられる、そんなまちです。

画像7

Q、島根県の教育の取り組みを教えてください。

島根県は課題先進地と言われ、少子高齢化に加え、都会への人口流出も激しいです。海士町もそうした課題を抱えていて、島から本土に移動する親子も多かったそうです。そうすると、島での高校入学者数も減ります。このままでは高校がなくなるのではないか。高校がなくなったら、島もなくなってしまうのではないか。そうした危機感を覚えた地元の人たちによって、高校魅力化コーディネーターという人材が仲間に入れられ、地域と協働しながら、高校を魅力ある学校に変えていこうとする実践が生まれました。そんな、海士町に端を発する取り組みが注目されて、今では島根県全域、そして全国に広がりつつあります。
そうした流れとあいまって、益田市では以前からひとづくり・まちづくりが地道に進められてきた地だったこともあり、独自の発展をして、小学校に「社会教育コーディネーター」が設置されることになりました。
こんなに地域と学校が一体となって取り組んでいるのは、全国的に見てもとても珍しいと思います。実際この現場にいて感じるのは、子どもと大人の相互作用によって、この社会は今もつくられ続けているということです。子どもたちは、いつか大人になったときの為だけに学んでいるのではない。地域で学び、それを地域に還元することは、今ここから、自分たちの暮らすコミュニティを変えていけるんだという感覚につながっていくと思います。

けいさん(最終)

(地域の大人に見守られながら、登校する子どもたち)

最後にひとことお願いします!

自分自身の興味・関心を追求してきた結果、わたしは今ここにたどり着いているので、何か言えることがあるとすれば、そのことを伝えたいです。わたしたちは、自分を社会から切り離して生きていくことはできませんが、周りの評価に惑わされて自分を見失わないよう、何をしているときに自分は満たされるのか、自分自身の声を聴いてみてください。「わたしはこういうのに惹かれる」という感覚を大事にしてほしいです!


インタビュアーより・・・。
小学校、中学校、高校時代の痛みって、今でもかなり鮮明に覚えていますよね。
私も、父の転勤で、マレーシア→岐阜→静岡、と3つの小学校に通った経験があるので、小さいながら苦しさを沢山抱えていたなあ、と思い出しました。
そんな私だからこそ言えることは、過去の体験が今の価値観をつくっている、ということ。昔のトラウマとか痛み、喜びや嬉しさ、縛られていたものやルール、そんなものが私の身体の中に蓄積されて、今の私がいます。
だから、小学生の「今」をもっと輝いたものにするお手伝いをして、彼らが成長する上での価値観や見える視界を広げていく、恵さんのお仕事が、とっても素敵だなあと感じました。
この場所ではこれが正解だったけれど、この場所ではこれが正解。学校の中ではこういうことがよくあります。
でも、自分だけの感性や興味を大事にして居れば、どの場所にいても、自分が正解でいられると思うんです。
ありのままの自分を肯定してくれて、ひとりの子としてみてくれて、周りの子に全部あわせなくても、自分だけの世界を沢山つくってね、と言ってくれる恵さんのような大人が、学校にいてくれたら・・・。
昔、痛みを感じたことがある私たちだからこそ、問い直せる「学ぶ」について、当日お話しできることをとっても楽しみにしています! (文責:高木ひかる)

当日も、「学び」を問い直すのテーマで、市川恵さんにお話しいただきます!お楽しみに~~!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?