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能登半島地震を受けて

2024年1月1日、能登沖を震源とする大地震が起きました。まだ余震が続いており、予断を許さない状況ではあるのは充分に理解しています。
年末年始恒例の帰省中にこの地震を金沢で、自分自身、財産も身体もなんの被害もなかった私ではありますが、自分がどういう状況で何を思ったか備忘録がてら書き残しておこうと思います。

というのも、2週間以上何も書けなかったっていうのが本音なのだけど、思考をスッキリさせて前に進むためには何か必要なのかなと。

元旦早朝。夜明け直後の犀川
元旦の妙成寺の長い階段
元旦、妙成寺の五重塔
地震後1/2早朝。夜明け前から一晩中往来していた自衛隊機
1/2早朝、夜明け前の犀川
1/2早朝散歩中に何か気になってる犬さん

最初に私のバックグラウンドを軽く書いておくと、羽咋産まれ(戸籍上は金沢)、金沢育ち、大学を出るまでずっと石川県で過ごしました。父母の出身はそれぞれ志賀町と羽咋。能登の出身です。親戚が輪島や七尾に以前はいましたが、代が変わり疎遠になっていたり、移住してしまい現在では空き家や土地だけが残っているとうっすら聞いています。

ここ20年くらいは初詣には気多大社と妙成寺に行ったあと、90を超える高齢の祖母の家と祖父の仏壇に挨拶をしてから奥能登をドライブして氷見経由で金沢に帰宅という初詣を毎年していました。

今年は例年とは違っていて、犬連れの帰省であったこと、小学生の甥っ子が犬と遊びたがっているため、夕方15時までには実家に帰りつく必要があるということで、元日恒例の初詣は時間が決まった内容となりました。

散歩と朝食を済ませ、予定どおり9時半前には自宅を出て山側環状線をかほく方面へ走らせ、のと里山海道経由で気多大社へ。10時半くらいに初詣をすることができました。
駐車場もそれほど待つこともなく、すんなり停めることができ、境内も例年ほどは混んでおらず、犬を抱っこしたままで(歩かせても大丈夫だったくらい空いてた)お参りをして、さっさと妙成寺へ。
こちらは膝が悪い母のために、境内の駐車場に入りたかったのですが、案内で近所の民家の私有地に停めることに。そこからゆっくり初詣を終わらせた頃の時間はちょうど11時過ぎぐらいでした。

あまり時間が無かったので、祖母の家に寄らない、母の膝が痛むので高台にある祖父のお墓参りもしないということで一路金沢へ帰ることに。夕飯と昼食だけ買い出しに途中イオンかほくに立ち寄りました。
イオンかほくで買い出しを行って、帰宅するとちょうど12時半くらいでランチタイムにちょうどいい時間。
お昼を食べて、甥っ子がくるまでゆっくり過ごしていました。

甥っ子が15時ごろに来て、お腹が空いてるということで遅めの昼食をおせちなどから食べさせて犬を連れて散歩へ。2キロほど先にあるスターバックスでお茶して戻ってくるというプランでした。妙に晴れた冬の寒空のスターバックスのテラス席でお茶しながら何か話していると、携帯の緊急地震速報がけたたましく鳴り、揺れ始めました。

その時、私の頭の中は犬と甥っ子を守ることでいっぱいでした。幸い、頭上に何もない状況だったので、道路の先にある店舗の建物が豪快にぐあんぐあんに揺れている様子だけ見ていました。

正直、後で視聴者映像が放映されているのを見て、この状況で動画撮ってる人ってすごいですね。と思った。

その後、実家に電話をして、食器棚の中身が飛び出たこと、他は今のところ大丈夫だったことを確認してすぐに戻りました。途中姉から状況を確認するメッセージが来たので甥っ子共々無事であることを告げた。通路がすべて屋外で河原や公園だったのも、とても幸運だったように思います。実際は当初の被害以外にも照明の配線がずれてしまっていたり、何か物が壊れたり本棚の中身が飛び出たといったことはあったようですが、ライフラインは全て無事。

実家は停電もなく、都市ガスと灯油の併用地域でしたが、灯油は年末に満タン、ガソリンも満タンにしていたので慌てて何かを買いに行く必要もありませんでした。

その後、甥っ子を迎えに姉と姪っ子が車で来て、その日は大き目の余震が続いており東日本大震災を思い出す気分だったので、風呂に入らずそのまま寝ることに。けれども一晩中飛び交う自衛隊のヘリコプター音であまり熟睡できないという結果になるのですが…それはまた別のお話。

見た話をそのままお伝えすると、ニュースでは自衛隊の被災地への救助が遅かったのでは?とか疑問が残る話をよく伝えていますが、彼らはできる限りのことを初動からしています。見たこともない頻度でヘリコプターが深夜早朝構わずほぼひっきりなしに往来していたりしました。プロがやれることをやっていてもまだ2週間経っても収束していないのです。余震が続いているのも、能登半島の地形や冬の気候などいろんな要因があるけど、いち早く避難されている方が落ち着けるようになるといいなと思います。

その中には避難所にいらっしゃる方や、集会所に避難されてる方もいますが、ダメージが少ない親戚や知人の家に避難されていらっしゃるという話もかなりよく耳にします。ニュースや自治体が取り上げない目に見えないこういう方も少しでも早くおうちやどこかで落ち着くことができますように。ただ祈っています。

そうそう、金沢市内も続く余震で一部土砂崩れなどの災害で二次被害が発生しています。母校のキャンパスに続く道も崩れちゃってるそうです。なので、行く場所に寄りますが、気軽に金沢は平気だから観光に来いとは私は言えないかな…

だってまだ復旧の段階で復興じゃない。
気軽に行く場所ではないという認識です。

こういう状況の後、心配してメッセージくださる方と自分のエゴでしつこく無事を尋ねるメッセージくださる方、こちらが発信するまで待っててくださる方、両方いらっしゃいました。
被災地に関する考えも、状況が収束してないのに復興支援を語り始める無神経な方やそれに気をつかって社交辞令でどうぞどうぞと言う人など色々です。いちいち怒りを感じるのも辛いので、Facebookはメッセージ以外見なくなりました。

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