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15侯 虹始見(にじはじめてあらわる)

家のすぐ隣に無人の野菜販売所がある。この10年間、野菜はほぼそこで買っている。販売所のおじさんは無農薬の野菜を育てて、毎日そこに置いていく。

10年前は私は病気療養中で、それを知ったおじさんは「この野菜食べると元気になるぞ」っと私の分を取っておいて、玄関の前に置いて行ってくれたりもした。

私は「おじさん野菜」をいっぱい食べて、元気になっていった。自分の身体の声に耳を澄まし、行動に移し、寝たり起きたりの療養生活は終わり、外で仕事ができるようになった。

私は「おじさん野菜」で育っていったし、「野菜」と聞いてイメージするのは「おじさん野菜」だ。

2.3年前から野菜を以前ほど食べなくなったこともあり、おじさんとの交流も減っていった。でもいつも販売所で会うと「おう!みほ、元気か?」と声をかけてくれて、他愛無い話をした。おじさんと野菜はセットだった。

4月の初め、おじさんに販売所で会った。「癌で来週から入院することになっちまたよ。まったく、まいったぜ」と言った。おじさんは確かにちょっと痩せて、元気がなかった。なんとなく嫌な予感がした。

販売所に野菜が並ばなくなって2週間が経った。お見舞いに行きたかったけどコロナで面会はできないと聞いた。3週間が経った。「どうしているかな」と気にかかって、携帯に電話しようかと思ったけど、なんとなくできなかった。

4週間目にようやく販売所に野菜が並び始めた。「あ、おじさん退院したのかな!」と思ったけれど、いつものビニール袋じゃなかったから、誰か違うような気もした。おばさんかな、とも思ったけど「きっとおじさんだ」と思いたかった。

数日後、販売所でおばさんに会った。おじさんが亡くなったことを聞いた。驚いてまだ信じられない。どうして私はおじさんの携帯に電話しなかったんだろう。おじさんに連絡しなかったんだろう。後悔の波が押し寄せている。

おじさんはまだいるような気がするけど、もうあの「おう!みほ、元気か?」の声は聞けない。おじさんに私が初めて育てたエンドウ豆を食べて欲しかったな。まだおじさんがいない、って実感がない。


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