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私の、終わりの はじまり

先日
フジ子・ヘミングさんのドキュメントを観た。
91歳だったそうだ。

(寿命かな)などと、
一時でも思った自分を恥じた。

次々にやりたいことが待っていて、復帰を待っている人がいた。

無念だったろう。

が、、
画面のフジ子さんは
自分のことがわかっていたと、
腹をくくっていた、ことを
テレビを通して感じた。

元々耳に障がいのあった上に、
きこえず目も見えない、と言っていた。

主治医の計らいで病院のグランドピアノを弾く機会をつくられたが…

自分が一番わかるのだ。
もう、
弾きたいようには弾けない と。

私も家事やら息子の中心に日々を暮らしてしまい
疲れて眠る日々。
それでも絵を描く事を諦めきれず描いてみると…

一本の線を引いただけで、自分にはわかる。

この線ではない
この線では描けない と。

それでも頭の中には完成作が浮かんでいる。
この絵を実現するまでは…と
そんな細々とした想いだけでいる。

『光る君へ』の枕草子 誕生秘話を見るたび、なぜか心が揺さぶられ、泣きたくもないのに涙が溢れて流れてくる。



世に出すため、
仕事にするため、
ペン画職人と名乗ったりもした。

商品になりやすいよう描いたりもした


けれど、
もう世に出る事を諦めたからこそ
自分の描きたい絵を描けるのではないか。。
そんな境地に着地してきている。
やっと諦められたことの良さ。

この絵を描いた時の狂気を
また味わいたい

手を放す
軽くなる
満ちてゆく

藤井風の『満ちてゆく』歌詞に出会った事もあり、多方面から惹き寄せている今日この頃。

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