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やっとこの感情に浸れた 

8月。徳島の帰郷から松本に戻ったある日、フォーマルコーナーをウロウロと見に行った。

「お探しですか?」
店員さんが声をかけてきた。

ここのフォーマルコーナーって、普段ひと気がないのでセルフショッピングなのかと思っていたのだけど、
その店員さんは品よくフォーマルドレスを身にまとっていたので、専門の販売員としていたようだ。

「見てるだけですので」と牽制しつつ、「手持ちのワンピースに、ジャケットをあと買いしたら 色味や素材の違いが目立ってしまいますかね~」
というような質問をしてみた。
その店員さんは 聞かれたことだけに答えて追質問などせず、現代の流れも含めて「このように装えば 失礼も間違いも ありません」と、
的確に説明してくれた。

三十代のとき お下がりに頂いたワンピースがこの年でも無理なく入ったので、4月に義父が急死したときにはそれを着た。
それでも私以外はジャケットを着ていて(いずれは買わなくては)と思っていたこともあり、
8月に帰郷して父の見舞いをしたときも 立てなくなってはいたけど、
もともと丈夫なスポーツマンだったし あのまま母の看病で数年いけるかもしれないし。決してそのための準備などではない!
と言い聞かせての来店であった。

お店的には、絽の夏物が割引セールになっていて 終わればメーカーに返すとのことで、
それよりも 値引きはないがオールシーズン素材で別売りジャケットもあるワンピースなら、後からジャケットも追加購入出来るな と、
試着後「このワンピース、いただきます」とさっさと決めた。店員さん的には不意の購入だったようで驚いていた。

ところが 父の容体が、
9月に入って発熱と血圧降下で意識も混濁、母はたまらず救急車を要請、救急病院に入院となった。しばらくは小康状態を保ったものの
ある日姉から「今日明日かもしれません」とのメールが届いた。

私がフォーマルドレスを買ったせいか?

昔読んだエッセイを思い出した。その作家が喪服をオーダーで新調し 届いた品を開けたときに、これを着てみたいと高揚している自分に気づいた。
それが、結果的に思いもよらない 大切に思っていた人の葬儀に着ることになってしまったという、その気持ちのゆらぎを、私自身が味わってしまった。

そのあたりの状況は、ひとつ前の支離滅裂なブログを読んでいただくとして
(下に貼りつけられました!)
お通夜・葬儀を済ませ松本に戻って、初冬に行われることになる四十九日のためにジャケットを加えようと、再びフォーマルコーナーへ足を運んだというわけだ。

あの店員さんは、私のことをうっすらと覚えていたようだった。

「実は あのあと父が亡くなり、購入したワンピースを使いました」と。
装いに自信が持てたので、きちんと見送ることが出来ました と、お礼を述べた。不意の報告に驚いていたが、喪失感を受け入れるのに時間がかかったご自身の体験も話してくださったりして、気持ちの共有してくださったのが、また嬉しかった。
なんだか世の中には年配者を疎ましいというような風潮があるような、順番だとか、
お父さん子の私の気持ちが誰ひとりわからないような、疎外感を持っていたからだ。

購入したジャケットを一度車に置きに行って、
とても躊躇し、迷ったのだが、
店員さんにと買った徳島土産をもって再び来店した。
仕事上対応してくれただけであることはわかっている。
わきまえた対応とわかりやすい説明で
きずつくこともなく、
装いを整えられた安心感で一連の行事を乗り越えられたから。
救われるのは友人や親しい存在のおかげだけとは限らない。

「帰郷したあいだも○さんの顔が浮かび感謝を伝えたいと思いました。ご負担にならないように心がけて選びましたので、どうか受け取ってください。」
と言ったつもりだが○△✕※~みたいになっていたかもしれない。

「そうだったんですね。。あのとき寂しそうなお姿が印象に残っています」と言われた。
「仕事の励みになります」とも言われた。

絞り出したわけでもないのに涙が流れていた。受け取ってもらって早々にその場をおいとました。

泣けた。やっと泣けた。
今度は止まらなくなって困った。

お客様感謝デーで賑わう食品売り場で
(マスクも役に立つな)などとも思いながら
しばらくこみ上げる感情に身をまかしていた。





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