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【京都】その25(寂光院・三千院・九頭竜大社・松葉湯・KLUM・マツケン)

6/5水。
今朝は進々堂のパンを食す。残り滞在日数も数えるほどになってきたので、夫婦それぞれお気に入りのパンをリピート。

今日は夫の恩師に車を出していただいて、一緒に大原へ出かける。

サムネイルにもある「大原女」とは↓↓

大原女(おおはらめ)は、頭に「柴(しば)」を乗せて、京の町へ行商に出かけた大原の働く女性のことです。大原女の服装は時代を遡ると、平安時代、寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないし)が山仕事をする際に着ていた衣装がその原型と言われています。

昭和の時代になり大原が観光地として認知されるようになると、リヤカーを引きながら大原の名産品である「しば漬」も売り歩いたようです。現代では京都の働く女性の伝統衣装として認知されています。

大原観光保勝会

街中の至るところに、大原女の像と、飛び出し注意のとびたくんの顔違いがいて和んだ。

街には、しば漬け屋さんがいっぱい

まずは腹ごしらえ。
KULM(クルム)へ。

大原の恵みランチ
自家製ピザ(大原サラダと生ハム)
自家製レモネード
自然豊かで心もお腹も満たされる

寂光院へ。

寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といい、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であったが現存しない。

鎌倉時代に制作された旧本尊(重要文化財)は、平成12(2000)年5月9日未明に発生した火災により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された地蔵菩薩像が本堂に安置されている。

建礼門院(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年(1185)年9月に入寺し真如覚比丘尼と称した。源平の合戦に敗れた後、寂光院に侍女たちとともに閑居し壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、終生を過ごした。

寂光院
建礼門院(徳子)の陵へと続く長い階段
こちらは隣にある寂光院へ続く階段
山門
本尊は六万体地蔵菩薩立像
建礼門院と阿波内侍(あわのないし)の像もある

阿波内侍(藤原信西の息女)は崇徳天皇の寵愛を受けた女官であったが、建礼門院には宮中より仕えた。出家後に入寺し「大原女」のモデルとされている。

寂光院パンフレットより
四方正面の池
建礼門院は昼夜絶えることなく念仏を唱えて、夫高倉天皇と我が子安徳天皇、平家一門の菩提を弔う日々を送った
収蔵庫
諸行無常の鐘

宝物殿には、建礼門院が大切にしていたという安徳天皇が入水する直前に乗っていたとされる船の残骸の一部が展示されていた。

続いて三千院へ。

たくさんグッズ化されている
弁財天
青色と赤色のもみじ
往生極楽院
四季折々、様々な景色が見られるお庭

往生極楽院船底型天井絵の復元模写は素晴らしかった。

お堂に比べて大きい阿弥陀三尊像(国宝)を納める工夫として、天井を船底型に折り上げています。現在は肉眼では解り難いものの、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれています。

三千院パンフレット

続いて九頭龍大社へ。

御神祭は九頭竜弁財天大神
昭和に出来た神社
手水舎に大きな龍
九頭竜弁財天大神のお姿とされる
とても綺麗 凹凸のある絵?
帝釈天社
九頭竜大社の守り神として降臨したとされる

夕食でお酒を飲むため、一度夫の恩師と解散して、時間を置いて再び集合。
お好み•鉄板焼 マツケンへ。

広島お好み焼きのお店
メニューの名前が奥田民生の曲をもじっている
豚玉イカ天そばお好み焼き
こうね(牛の前バラ肉)
マツケン焼き
あと、がんす・自家製せんじがら・広島菜牡蠣醬油漬け

3人でわいわいしながらペロリと平らげる😋

店内のTVは2台あり、カープ戦と阪神戦をそれぞれ流していた。どちらのファンにも優しいね。カープ選手のサイン色紙や、元カープ・元NYヤンキースの黒田選手のサイン入りユニフォームが飾ってあった。

夫と夫の恩師は2軒目に繰り出すとのことなので、私だけ松葉湯へ。

住宅地にあるが時計台とネオンとイルミネーションで目立つ

ここはお風呂から鳥が見える、ということで教えてもらったところ。どういうこと??と理解しきれずにいたので、この目で確かめてみたくてきてみた。

玄関に入ると、番台さんの隣に立派なオウムちゃんがいて、お出迎えしてくれた。そして浴場に入ると奥のガラスケースに鳥たちがいる。何を言っているか分からないと思うので、他の方の取材記事を引用させていただく↓↓

鳥を見ているのか、鳥から見られているのか...となんだか不思議な気持ちになる。
サウナや露天風呂にあるTVが多分ブラウン管のモニタっぽくて何ともレトロな感じであった。

なんとも有難い1日だった。感謝。

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