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生命保険②

娘は大学に入って

医療の道へ進むべく日々努力を

重ねていました



午前に授業がなければ病院に

アルバイトに行きたくさんの

患者さんと触れ合い彼女なりに

「人」に関すること。


「感情」「愛」「感謝」などを

学んでいたのだと思います。


母子家庭で育ち四人兄弟姉妹の

一番上の子だけに気が利いて

面倒見の良い優しいお姉ちゃんでした



あの日、

朝から私は心が落ち着かず

ざわついてとても不安でした


午前中台風が上陸するという

ニュースを前日から承知して

いた為の事だと思っていました


引越しをして学区外の少し遠い

小学校まで通っていた長男に心が

向いていて、台風でこの子に何か

あっては大変だと、私は遅刻をし

長男を学校まで送り届け少し

心のざわつきを制御できたかの様に

振舞っていました



仕事中携帯を見ると知らない

番号からの

着信。

留守電ナシ。


かけ直してみる

と、大学病院だというし

折返しだと説明しても知らないと

言われ

まぁ、こちらも知らない遠い病院だし

と特に気にしなかったんです


しかし、夕方。

携帯を見るとまた同じ番号。

そしてかけていないと言われ

えーいったいなんなのか?

と腹を立てて切った。

その後、

また電話。

タイミングで取ることができると、

なんと、

朝から着信のあった折返しにも

知らないと言われたあの大学病院から


長女が交通事故に遭い意識不明。

頭蓋骨骨折。

至急来てくださいと。


今は生きていますと。

もう何が何だか。

何が起こっているのかわけが

わからないまま会社を出て

病院に向かいました


気持ちが動転しているので

電車の乗り換えも間違えるし

気づくと反対の線の出口に立って

いたりと生きた心地なく病院へ

急ぎました


まだ下の子二人は保育園児だったの

で実家に電話をしてお迎えを頼み

娘の状況を泣きながら電話しました


堪えてもこらえても泣く事を

我慢できませんでした


電車の中で電話をしてはいけないと

分かっていても、お迎えの時間の

タイムリミットや抑えきれない

悲しみに話をしていました


満員電車でした。


後ろからすすり泣く声が聞こえ、

あちらこちらから頑張れ、頑張れと

声をかけてもらい人の優しさに触れ

さらに泣きました。


病院につくと娘にすぐに会えず

ドクターの説明をレントゲンを

見ながら受けました


絶望的でした。

ドクターも奇跡はないと思うと

意識が戻っても今までの様ではないと

それ以外、

何を聞いたか覚えていません


苦しい時間と時が流れ娘は少しづつ回復していきました

交通事故の被害者でしたが相手の

方には誠意を感じることは 

ありませんでした


裁判をするという事で弁護士を

探しましたが、

医療に強い弁護士じゃないと

できないとかで本当にたくさんの

弁護士に会いました


やっと見つけた弁護士は数ヶ月後

亡くなり亡くなったお知らせと

同時に調査費用を請求してきたので

本当に驚きました。


娘はそれから何度も頭蓋骨を

人工骨に変える手術や髄液が

出てきてしまいその手術など繰り返し

厳しい手術と治療をしました


その時、

私ははじめて、


娘の保険。


よく分からないで入った保険


これに入っておけば大丈夫だと

言われた保険の事が思い出され、

担当者に電話をしました



つづく