わたしの夢、わくわくすること

テーマ:大家族、それと第二の地元

①特殊なファミリー②第二の地元③未希の恩返し



①特殊なファミリー

まず、私の自己紹介からしたいと思います。

私は福島県いわき市にあるラーメン屋を経営している家族の長女として生まれ、兄の影響で小学校一年生から専門学校1年生まで剣道をやっていました。

剣道のために進学した学区外の中学校、中央台南中学校の剣道部に入部し、一年目から団体戦のレギュラーに選抜され、三年連続東北大会出場を経験。

3年生の時には部員が女子だけで22人いましたがその中で部長も務めました。

磐城第一高等学校という女子高に進学後も剣道部に所属し、中学生の頃程強いチームではありませんでしたが、三年連続地区大会優勝し、中学生と同様に3年では部長を務めました。

高校を卒業後、韓国語を本気で、誰よりも深く勉強したいという思いから東京の駿台外語&ビジネス専門学校の韓国語学科留学コースに進学し、現在在学している韓国の私立祥明(サンミョン)大学に編入学生として入学しました。

ここまでが、私の22年間の簡単な年表です。

上記にも記載したとおり、わたしの両親は母方の祖父母が始めたラーメン屋を経営しており、父は婿入りで、私たち家族は母方の祖父母と一緒に暮らしておりました。しかし祖父は私が生まれて2ヶ月目に他界。そこからは祖母が大黒柱として生活してきました。

祖母は昼出勤、母は夜出勤に分けて勤務していた為、私と兄は祖母に育てられたも同然です。また、私の二人目の母ともいえる母の妹、つまり私の叔母も一緒にラーメン屋にて勤務していた為、たまに年下のいとこ二人も一緒に過ごすことがありました 。

寝る家は違くても一つの大家族で、私たちは四兄弟として育てられ、祖母、母、叔母と、たくさんの愛情を注いでもらいました。

しかし、そんな大好きな祖母も私が中学一年生の時に他界。そこからは母が大黒柱となりました。今「あれ?お父さんが大黒柱じゃないの?」って思いましたよね?そうなんです。私の家族は父がずっと家におらず店に顔を出さない限り会えなかったことや店自体、祖母から母へと経営権が移った為、母が大黒柱として私たち家族や店はもちろん、叔母家族まで見守ってくれています。



②私は現在韓国の鐘路(チョンロ)区に住んでおり、同じ鐘路区に位置するサンミョン大学に在籍しています。近くには景福宮があり、歴史を感じられる比較的静かで住みやすい環境です。私の専攻、韓日文化コンテンツ学科の教授は全員、早稲田やつくば、明治など日本の大学、大学院を卒業している方々です。そんな教授の方々は韓国人学生同然で接してくれて、その分とても面倒を見てくれています。自分が日本で勉強しているときと私を重ね、「わたしが韓国でのお母さんになるから、何かあったらすぐに言いなさい」と言ってくれた程、とてもよくしてもらっています。

そんな私がワクワクすることは飛行機に乗ること。

高校生のとき、専門学生の時にも旅行の時に韓国に何度も訪問し、何度も飛行機に乗りましたが、韓国に住み始めてから明らかに違うワクワクを感じるようになりました。

私が日本に帰るときは主に学期が終わるときと学期が始まるときの年に4回。

学期が終わったときは長期休みにどんな出来事が起きるだろう、どんなところに行けるだろうと、帰国にワクワク。

学期が始まるときは今学期はどんなことを学べるんだろう、友達と何ができるだろう、どんな出会いがあるだろうとまた違うワクワク。






(JTB総合研究会)

日本人が一番多く選ぶ観光地である韓国。JTB総合研究会2019年8月の調査でもタイや台湾、アメリカよりも多くの日本人が訪問したそうで、実際に私自身街の中でン日本人に会わない日はないほど。

旅行客も飛行機に乗るときにワクワクを感じると思いますが、明らかに旅行客とは違うワクワクを感じ、飛行機に乗ることで自分の未来につながることが分かっていて色々なことを考えられる、そんな2時間半。

友達もたくさんできて、大変なこともありますがそれより楽しく充実している自分に会う為の2時間半。

自分がスキルアップできる入り口である2時間半。

大学に通うようになってから、飛行機がただの移動手段でなく、わたしの夢の入り口となりました。



③未希の恩返し

私は祖母が亡くなった当時中学生で、平日は学校と部活、土日になれば毎週福島県を離れ遠征の日々でした。
中学校が叔母の自宅に近かった為平日は叔母の自宅に帰宅し、ご飯を食べて店を閉めた後母が迎えに来てくれていました。
帰宅後私はお風呂に入って寝るだけ。しかし母は掃除洗濯と、次の日の私のお弁当の準備。当時のわたしは自分のことで精いっぱいで何も考えていませんでしたが、今考えると母はほとんど寝ていない状況で、私が母のようにできるかと聞かれたら絶対に無理です。朝から夜まで仕事をすることだけでも大変な中、わたしと兄に寂しい思いをさせず、家事も手を抜きませんでした。

私が幼い頃、一人にできないからと結婚前のデートにほぼ毎回私をつれて行ってくれた叔母夫婦、亡き祖父母に、父はもちろん、店を継いでわたしに夢を追わせてくれた兄、そしてなにより偉大なる母に恩返しをすることがわたしの一番の夢です。
わたしが人間として成長して、仕事も必死に行い、充実してる生活をすることが恩返しにもなりますし、なにかをプレゼントすることも恩返しのひとつです。
今まで離れていた分、母を、わたしの大切な大家族を常に気遣い、優先し、親孝行をして楽させたいと思っています。
その為にわたしはどんなに辛くても自分の決めた道を諦めないで進み、祖父のことばの"遊んだらばい働け、自分で決めたら絶対諦めるな"を守りつつ、立派な大人になりたいです。


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