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私が尊敬する人(回想編)


私が今でもレースの事前アンケートで記入する、尊敬する人「山下佐知子監督」の元で陸上をしていたのはたった3年である。

周囲のイメージや選手のイメージがどのようなものかは分からないが
ある一定の力をつけなければ監督には見てもらえない。という感覚で過ごした3年間だった。


当時、マラソンも駅伝も強いチームを目標にしたチームづくりだったので
まだまだひよこにもなっていない私が山下監督の目にかかろうなど恐れ多い話だった。


しかし、山下監督は走れていても走れていなくても一人一人に向き合って話をしてくれた。


私が山下監督のしてくださった話の中でずっと覚えている話がある。


ある日の朝練習のとき、
グランドの桜の木が満開でとても綺麗だった。

その桜の木を見て山下監督はふと、

「あの桜のあるでしょ?
桜の木って満開になった時と同じくらいの大きさの根が地面の下にあって、
あれくらい大きくてたくさん綺麗な花を咲かせるためにはそれを支える大きな根が無いとだめなんだって。陸上も同じで結果を出したり良い思い、経験をしたいと思ったらそれと同じくらいの努力を陰でしないといけないね。」と教えてくれた。

もともと春生まれで桜が好きだった私は、
今でも桜の木を見ると思い出す言葉になった。

他にもたくさん話をしてくれた。
それが押し付けがましくなくて、
私はこう思ったかな、下門はどう思った?という感じで引き出そうとしてくれたり、
時には美味しい食べ物の話、恋愛の話を選手と混ざって同じ目線で話した。


もう1つ心に残ったエピソードを。
タイタニックという映画をご存知だろうか?
今から約100年以上前に起きた豪華客船沈没事故をもとに作られたラブロマンス映画。
ラブロマンスが主軸の映画で山下監督が1番印象に残っているのは
沈没していく船の上で最後まで演奏(自分の仕事)を貫いた音楽家達だったと言った。


自分の信念を貫いて仕事をする。

主人公達の恋愛やラストがどうなるのかというところにに目がいきがちだが、
映画を見るたびに私の中でどのシーンよりも気になって見てしまう1シーンとなった。



たった3年間だったが
陸上選手としてだけではなく
社会人として
女性として
人として
成長させてくれた方だと今になって思う。

2年間のブランクを経て陸上選手として復帰をしたいと決めた時も山下監督に相談した。
私は勝手に
「やる気があるならもう1度やってみな!」と背中を押してくれるものだと思っていたが、
私よりも慎重に
なんでもう1度走りたいのか、
あんなに苦しんだことをもう1度繰り返すのか、と何度も確認してくれた。
それは自分が監督としても選手としてもそれだけ辛い道を歩んできたからだろう。

そしてもちろん2年で15kg太り、1km4'00"ペースでも走れなくなった私に入部を許してくれる会社は無かった。
断るチームが多い中、拾ってくれたのがしまむら女子陸上部だった。

その秋に5000mのタイムを15'56"まで戻し、この年から始まった全日本実業団女子駅伝のクイーンズ8システム(上位8チームは翌年予選会無しで本戦に出場できる制度)で2区で出場。

しまむらはシード権を獲得した。

山下監督と大会後に会い(もちろん第一生命グループ女子陸上部は上位)労いの言葉をいただいた。
それと同時に復帰を決めた時山下監督が私を推薦して取らなかったチームがシード権落ちをしていたので、「下門は秋までには絶対15分台まで戻すって言ったんだけどねーふふっ♫笑」と信じていてくれたことがとても嬉しかった。


そして名古屋ウィメンズマラソン2017で2°27'54"の自己ベストを出し入賞した時も頭をポンポンと撫で「頑張ったじゃーん!」と褒めてくれた。

今でも何かあれば気にかけて連絡してくださり、結果が出ればチームを離れても自分の選手のように喜んでくれる。
そしてその、結果を出して喜んでもらいたい認めてもらいたい、と思う気持ちが今でも私の原動力になっている。

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