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私が尊敬する人(出会い編)


駅伝やマラソン、テレビ取材が入る大会前になると選手へアンケートが届く。
基本的な経歴や身長、体重と少し踏み込んだ質問が15個〜20個くらい。
その中で

「尊敬している選手、または尊敬している人は誰ですか?」

という質問はお決まり。

私は過去、一貫してある方の名前を挙げている。

第一生命グループ女子陸上部の山下佐知子監督の名前である。

実業団の世界へ入って初めての監督だ。

私は高校で陸上を辞め、製菓の専門学校へ進学する予定だった。
高校での生活は周りにくらべたら良い方(笑)で
校内推薦、そしてS特待でほぼ免除されての入学が決まっていた。

しかし、高校3年生の秋、
初めて出場した東日本女子駅伝での走りと大学生の先輩のアドバイスから、まだ陸上を続けたい。と進路を変えた。

高校3年の秋なんてほとんどの人が進路を確定し、
実業団チームは2年生の選手の進路先選びで動き始める時期。
そんなときに3000m9'40"、5000mではタイムすら無い下の下の選手の受け入れ先など無いだろう。

大学進学は考えなかったのか?と言われるが、製菓の道に進みたかったので学科が食品系、
数学や英語などの座学は1年のうちに終わり、2・3年は食品の座学と実習がほぼ大半を占めていて11月中旬過ぎから勉強しても間に合わないということから選択肢から外れた。

実業団や大学の知識なんて全くなかったが
東日本女子駅伝のときにアドバイスをくださった先輩からも実業団を強く推された。
実業団、分からない。怖い。などと言っていられない。
やると決めたからには思いっきり踏み込みたかったのもある。


そして実業団チームに的を絞り、
高校の監督は前年の全日本実業団女子駅伝の結果をもとに一位から順番に連絡を取っていった。
なりふり構わず、といったところ。
すると上から5番目にかけたのが第一生命女子陸上部(後、第一生命グループ女子陸上部)だった。

会社で決定していたのは一人のみ。
特にその年は選手を取る年ではなかったようで、

「一応どんな子か見るけど、、、」と山下監督も乗り気では無いと高校の監督に聞かされていた。

山下監督が走りを見に来てくださる日、
天気は大荒れ、雪まじりの雨が降っていた。
私の高校のトラックは土の300mトラック。
外灯も無く真っ暗。
最悪だ、、終わった。と思った。
調子は良かったがアピールどころか、
これでは何も見えない。

絶望的、、、


アップが終わりポイント練習がスタートするとき、教官室から高校の監督と山下監督が出てきた。

すると、それまで大荒れだった天気が一転した。

大雨が止んだ。
(後に山下監督が超絶晴れ女と知る。)


それでも外灯は無いので真っ暗なのは変わらないが、
私は出来る限りのパフォーマンスをしようと
雨で田んぼ状態のトラックで1000m×3本を全力で走った。

結果、無事に選手として受け入れてもらうことになったけれど、
山下監督の後日談では、
「真っ暗で何も見えなかったー😀」だった。

その時なぜ入部出来たかは未だに分からないままだ。


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