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紅葉坂プロジェクトvol.3 おんがくが「ぬ」とであふとき 解説

 「ぬ」という一文字は音なのか、意味なのか、概念なのかーーそれが私がこの9ヶ月向き合った課題とも言えるだろう。今企画「おんがくが『ぬ』とであふとき」の出発点は、上條晃氏の教育的側面を持つ研究であった。古代語の「ぬ」を通して(西洋)音楽を考えるという大枠があり、上條氏は主に演奏の学生に対して研究を実施していた。作曲家の立場としてこのテーマに取り組んで欲しいとのお声がけをいただいたとき、私が最も心踊らされた「ぬ」の特徴は、「花散りぬ」で感じられるような、物事が終わりつつも次の何かを予感させるような複合的な時間感覚であり、「風立ちぬ」の風が速くもありゆっくりでもあるという矛盾した時間感覚でもあった。

 時間を構築する芸術である作曲において、「ぬ」の時間的概念を取り入れることは成功が約束されたようなものであった。しかし、私たちは3月のワークインプログレスで、決してそんな簡単なことではないという現実を目の当たりにした。

 人々が期待する「ぬ」は多種多様である。音としての「ぬ」を期待する人もいれば、概念としての「ぬ」など理解できないと一蹴する人もいる。そうとなれば、私たちは私たちの思う「ぬ」を押し付けることはできないし、そもそもそれが本来の芸術の伝搬のあり方のはずである。こちらが「ぬ」になりきったとしても、相手が「め」と受け取る自由はいつでも許容されている。

 私たちがこの企画で願うことは、「ぬ」というものが、内に対して、あるいは外に対して、何かを問い直すきっかけになることである。

 「音は音そのものであるときに力を発揮する」という考えが、これまで作曲家としての私を強く支えてくれたものであったこと、ありがたくもその点で評価されてきたという認識はある。「ぬ」と出会うことで、私はそんな自分の「スタイル」「しがらみ」から抜け出したかった。コンサート形式を想定していた本公演が舞台形式になったのも、音楽と演劇の「あいだ」を探りたいという長年の興味があったからだ。演奏家が全身で音楽することによって滲みでる、演劇的な側面。ただし、それは決して演劇ではない。

 制作過程において「ぬ」への焦点のあて方を、時間感覚に留まらず身体感覚やそもそもの音的面白さへ拡げていったのだが、そこで大変興味深い現象が起きた。過去の自分から抜け出したいと思っていたのが、本来自分の得意な分野に戻っていったのである。私は小学校3年生のときに友人と造語辞典を作っていたことを思い出した。私は知らずとして、「ぬ」を通して、上條氏の研究の核となる部分である「想い起こす」行為へと導かれていたのである。

入りまじるくるり:「ぬ」についての考察II ~弦楽三重奏のための~ (2024、世界初演)
「ぬま」「ぬめぬめ」といった言葉たちからも感じ取ることができる「ぬ」の掴みどころのない様子を、敢えて西洋音楽的なこの編成において、響きとして表現することを試みた。同時に、「ぬ」には複数の速さの時間感覚が同居すること、過去と現在の交差が起き得ることも、聴覚的・視覚的に表した。

短く速くくるり:「ぬ」についての考察III ~3声のための~ (2024、世界初演)様々な状況下で発せられる「ぬ」という音に焦点を当てる。感情や相手との関係性によって、「ぬ」という音がどれだけの色を持てるのか。そして日本語では「ヌ」「ヌー」としか記されないものに、どれだけの多様で奥深い音が世界には存在するのかも取り上げた。歌詞には造語も含まれており、尖っていて新しいものは、実は私たちが忘れてしまったけれど確かに存在していた過去かもしれないということを暗示している。 

ゆつくりとながいくるり:Zerfließen… ~アコーディオンとクラリネットのための~ (2022、日本初演)
Zöllner-Roche-Duoからの委嘱作品。上條氏による「ぬ」研究の前段階に位置する「自然」「生成」「分解」についての研究からインスピレーションを得て作曲された。何かになりたいと願いながらも、溶けていく時間。私たちはそれをただ受け入れる。そんなことを考えて書いたものは、「ぬ」的でしかなかった。

短くもながいくるり:「ぬ」についての考察I ~アンサンブルのための~ (2023、世界初演)
初めて直接的に「ぬ」を題材にして書いた作品。「ぬ」は「n」「u」まで分解され、それらがどうやって「nu」になっていくのか、はじまりもおわりもない時間の中で辿られる。

2024年7月20日 小倉美春


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