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父と私①"余命宣告"をうけた時のこと

小出しにはするものの、ちゃんと向き合ってこなかった、父の死
10年経ちやっと自分なりに整理しておこうと言う気持ちになったのは生命保険を扱うよりももっと広く人が自分の人生を生きることに関わっていきたいと思っているからでもあるのです
父が亡くなったのは2010.1.30で私は葬儀には参列していません
〇さん(父)最期までmiharuには弱い姿見せたくなかったんだね
と多くの人に言われた
私もそう思っています
私はずっと父に守られてきたし父を失い無条件にこんなにも愛してくれる人を亡くしたその深い悲しみは今も癒えず
父の死後生命保険を扱い改めて父の死から学ぶことがとても多かった
思いに向き合うことで誰かの糧になれば良いと思い記録に残します

父が末期の肝臓癌だとわかったのは2008年9月末のこと
その時の気持ちをmixi(懐かしい)に残してあった
当時私は証券会社に長男の産休育休を経て復帰したばかり、1歳の息子に家も新築したばかりでした

腰が痛い…から始まって整形外科へ
疲労骨折との診断でした。それが治らず検査をしたところ腫瘍がみつかり…いや、まさか、うちのお父さんが…え??ですよ

告知するかしないか母は悩んでいました
看病するのは母
だから私の意見なんか言えなかったけど
残された時間が少ないなら一刻も早く伝えるべきだったのでは?と思う
ただ、家族誰もお父さんが死ぬわけないと思っていました。
だから
余命宣告をすること=死を受け入れること
になってしまう
母こそが"お父さんは死ぬわけない"を信じきらないとメンタルがもたなかったのかもしれません
テレビや映画のように泣くことはまずありませんでした。
普通に接していた
泣いたりしたら辛いのは父
私は父の前で絶対に泣きませんでした
ここから余命半年と言われながら一年半にも及ぶ闘病生活始まったのです

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