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東証今昔物語 基礎の基礎その②

東京証券取引所は風水を気にして建てています。

東証の入り口には十二支が描いてある円盤があります
東証の出口は東西南北にありますが、東の出口だけはちょっと東南がわに向いています。
風水では

東南は辰巳の方向で金運が舞い込む、いい情報が舞い込む、いい人がくる方角でいい方向とされています。

日本で経済のニュースとかする時にこのくるくる回ってるのが動画になっていますね

これは東証のマーケットセンターといわれているものでこの回っているのは日本の上場している会社の株価になります。

今はここで株式の売買をしているわけではありませんが2000年までは実際にここで株券の売買をやっていました。
写真の中二階の部分、1999年の12月までは高さが全部同じで、高さを揃えると広さがテニスコート4面分くらいの広さがあり、ここに証券会社の人が2000人から2500人くらい集まってきて株券の売買を行っていました。

その2500人てただの2500人ではないんです。
体がものすごく大きい人たちが集まっていたんです。
なぜ体が大きい人が集まっていたかわかりますか?
今はネットでみると、自分のパソコンの画面に注文画面がみれますが、
1999年の12月まではここにこないと、この中にこないと、注文する場所がみれなかったんです。
外に情報はなかったんです。

画用紙くらいの紙、それをというのですが、そのたった一枚の紙に注文を書いている人にかいてもらわないと注文したことにならなかったんですね。
日本全国でたった一枚の画用紙に鉛筆で書いているその人の耳に届かないと注文にならない。その人が見れるところに立って注文しないと注文が届かない。
ですので証券マンたちはそれを書いている人たちの目に入る場所を確保しないといけない。
その場所は限られているので体の大きな証券マンが集まってきて場所をとりあっていたわけです。
お客さんにとっては命の次に大切なお金を扱う注文を出す出さないというのは証券マンにとっては命がけなわけですよね。
声の調子を変えたり、メガネはいつも同じメガネをかけたりして顔を覚えてもらったりと…いろいろな工夫をしながら、場所をとられないようにするのに大学の相撲部とか、アメフトとかラクビー部の出身者など大きな人が集まってきてました。
体が大きい人ばかり集まってくると、今度は背の高い人、バスケットボール部出身の人を入れて上から注文を出してきたりして…
昔はそうやって閉じた世界で限られた人たちが注文を出していました。
私はこの立会いの活気に憧れた一人であります
当時の様子はコチラ

Windows97が1997年、ちょうどそのころから情報革命が進んでパソコンが安くなり自宅のパソコンから注文を出せるようになりました。
各家庭からインターネットの回線を使って証券取引の注文を出すということが1995年から急速に行われることになって注文の量がものすごく増えたんですね。
バブルが崩壊して証券会社は注文量が減ったと思ってらっしゃるかもしれませんが実はものすごく増えたんですね。
インターネット取引が主流になり機械化したのです。
当初1日20-50万件の注文が250万件のシステムに対応できるようになったんですが、今の注文件数は20年たって

2億件の注文

が出てるんですよ。

一刻も早く情報を知ったものが有利な業界ですので、コンピューターの性能、回線の速度にものすごく敏感な業界。
要するに速くなければ生きていけない。
量が多くて速いので、実は証券界のシステムというのはありとあらゆる産業の中で最も高速で最も処理能力が要求されます。
人間の目が一回瞬きするのに1/2000秒なんですが、東証のシステムは1/10000秒の速度で注文をさばいています。

現在の東証については次回触れたいと思います

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「証券を生活産業に」のキャッチフレーズに憧れ某中堅証券会社に入社。証券会社そんなに甘くなく国内生保に入社。現在はIFAとして「証券を生活産業に」すべく投資・損保・生保をオールマイティ(自分で言ってる笑)に扱う傍らセミナー・イベント誘致の会社を経営しております
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